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遺跡

2016年1月31日 (日)

長年の願いが叶った防衛大学校探検!(その4)

防大・走水海上訓練場の見学を終えた団長一行、次は山の上の防衛大学校へと向かいます。 海上訓練場からだと、走水神社の横を通り急な階段を上って15分ほどで本校の裏口に行けるのですが、、、、、 日ごろ鍛えられている中塚さまは息を上げずにスイスイと登られているのに対し、団長一行はどんどん息が上がって遅れてしまいます。(笑)


さて本校内見学の目玉は何と言っても花立台砲台跡。 普段はもちろん、一般人が入校できる毎年11月の防大開校祭の時にもそこだけは立ち入り禁止なのですが、その美しい佇まいと絶景は廃墟マニア、遺構マニアの心を捕えて離さないのです。


しかーし、ここで心配事が。 花立台砲台跡に通じる門の鍵は中塚さまの管理範囲外と言うことで、開いていれば入れるけど開いて無かったらごめんなさい/ここ数日は開いてなかった、とのことなのです。


ということで過大な期待は引っ込めて門に向かったところ、、、、、






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うぉ~っ! 開いてる!!

この先にある野球グラウンドで学生が練習していて、その選手が開けてくれたものと思われます。 真剣に打撃フォームをチェックしていた学生さん、ありがとうっ!!






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ということで、憧れの花立台砲台にゴタイメーン! 

か、かっけぇ~っ!






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それに美しい! 円柱形の構造がなんとも艶っぽい。

第三海堡もそうでしたが、曲線デザインを取り入れたコンクリート構造物はグッときます。







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内部もきれいな状態でキープされていました。 

かなりの大型の遺構なので内部はいくつかの部屋に分かれていましたが、それぞれがどのような役割を果たしていたのかはわかりません。 ここに置かれていたであろう設備は戦後にすぐに撤去されたのでしょうね。





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なんだかトイレっぽく見えますが、ここはなんだったのでしょう?




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円柱構造の2階部分の監視窓(?)から東京湾口方面を臨む。 敵艦が湾に侵攻してこないか、ここから監視していたのでしょうね。

それにしてもこの絶大な存在感に圧倒された団長一行、言葉少なくあちらこちらを眺め続けたのでした。





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こちらが砲台跡。 たしかにこうして見てみると海上訓練場内の探照燈跡とは構造が違います。


ここからの景色はまさに絶景。 浦賀水道から東京湾口までのパノラマがダイナミックに拡がっていました。 近くの観音崎灯台からも素晴らしい景色を眺めることができますが、こちらの方が標高が高いため、同じ景色をより俯瞰的に観ることができるのです。 ここで初日の出を見ることができたら最高だろうなあ。


この後、学内の主要施設を見学。 射撃訓練場、第二大隊校舎屋上からの東京湾絶景、防大グッズが沢山ある売店、校内に展示されている戦車、魚雷、戦闘機などなどなど。 これらの多くは11月の防大開校祭のときに見学可能なので、是非とも多くの人に見てほしいものです。





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最後に校門近くの見事な桜の木二本を見学。 この枝っぷり、見事な咲き具合なのでしょうね。 想像するだけでワクワクしてしまいます。 寒さの厳しい冬や暖冬、毎年コンディションは違うにも関わらず、不思議なことにこの二本だけは防大の卒業式にあわせて満開になるのだそうです。 今年はかなりの暖冬ですがどうなるでしょうか?


卒業式には総理大臣も臨席するので警備上の問題もあるでしょうから、当日は無理そう。 式の直後位にまた見に来たいと思います。 なーんて、普通に入ることはできないでしょうから校門から眺めるだけかなあと思っていたのですが、中塚さまにまたご招待いただけるかも? でもさすがにビール持込みは無理そうだ~。(笑)


お昼から4時間、2万歩、12㎞を踏破した防大探検もいよいよ終わり。 今回は立ち入り禁止を座って入ったなんてことはしていないので(笑)、守衛さんに堂々と挨拶をしたあと、校門で中塚さまとお別れしてバスに乗り込みました。

それにしても濃い探検だったなあ~。 こんな夢のような機会を提供してくださった防大と中塚さまに感謝感謝。 





2016年1月24日 (日)

長年の願いが叶った防衛大学校探検!(その3)

防大・走水会場訓練場内の散策はまだまだ続きます。 次は施設の海側に新しく設置された堤防方面へ向かいました。




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新しくできただけあって白くてきれいな堤防ですね。

さてここでとても耳寄りな情報です。 この赤い部分、船を陸上へ引き上げるところですが、なんとここは2年に一度だけ堂々と入ることができるみたいですよ!

走水の夏祭りでは御神輿を船に乗せて海上を練り歩くのだそうで、最後はここから陸に上げるのだそうです。 その際はここまで見学者が入ってきて良いみたいです。


この場所から振り返ってみると、、、、









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ほーら、行きたくなって来たでしょう~?(笑)

ちなみに走水の夏祭りは7月なのですが、海上神輿が出るのは西暦の奇数年とのことなので、ここに入るのは来年夏まで待たなければなりません。






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さて出来たばかりの防波堤を見学します。 できたばかりとはいえ、既にカモメの楽園となっていて残念ながらフンだらけ。




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先端の灯台周辺もこの通り。

写真を撮り忘れてしまいましたが、あちこちにコウイカの骨(靴べらみたいなヤツ)が落ちていました。 この辺りにいるコウイカをカモメが捕ってきて堤防で食べているようです。 人間でさえそんなに食べられない高級品なのになんと贅沢な!

ちなみにこの堤防を含めて訓練場内は釣り禁止なので、あちらこちらに大きなスズキや黒鯛が泳いでいる様子を見ることができました。 過去にはそれを狙ってこっそり進入してきた釣り人もいたようです。 気持ちはよく理解できます。(笑)


さてそうこうしているうちに訓練場内の雰囲気がちょっと変わってきました。





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山の上の本校から学生たちが続々降りてきたではあーりませんか。

団長一行が訪れた土曜午後、丁度1年生達の必修となっているカッターの授業があったのです。 ラッキーなことにその様子も見学させていただけることに!

学生たち、今回が2回目のカッター授業とのことなのですが、前回はカッターの仕組みを学ぶことが中心だったので、この日は初めて海に出るのだそうだ。 そんな様子を見学できるなんて、何とも幸せです。





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まずはこのリフトでカッターを海面へ降ろします。

ところでこのリフト、なんとまあ63年前に房総方面からここに運んで移設したらしい。 63年もの長い間潮風にさらされているのにまだこれだけ綺麗な訳ですので、いかに日ごろの手入れがきちんとなされているかがわかりますね。 宿舎できちんと畳まれた寝具、この写真には写っていませんが学生たちが脱いだ靴が見事に整列していた様(もちろん靴はみんなピカピカ!)、見習わないと。




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堤防にはカッター用オールを収納した小屋が! 

一つ持たせていただきましたが、木製もファイバー製も重さ約5Kg。 重い重い。 これをぶんぶん振り回して漕ぐわけですから、学生たちはみんな相当の腕力の持ち主なんでしょうねえ、なんてことを中塚さまに言ったら、いえいえ、オールは腕じゃなくて全身で漕ぐものなんです、とのこと。 

力強くスピーディに漕ぐには全身を後ろに反らしてオールを動かす。 なるほど、イメージが涌きました。 腕だけで漕いだらあっという間に腕がパンパンになってしまうんだそうです。







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初めて乗船する一年生たち。 まずは上官に舵の取り付け方を教えてもらっていました。 無駄口を叩く者はおらず、みんな真剣に各々の持ち場で準備してましたね~。

ところでカッターは土足厳禁。 上官も学生もみんな裸足で乗り込みます。 この日は暖かくて穏やかな日でしたが、慣れていない団長が乗ったらあっという間に足の感覚がマヒしそうです。





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いよいよ出航! 大隊ごとに次々と出船です。

4月に入学して7か月。 日ごろ鍛えた肉体とは言えほとんどの学生が初めて漕ぐようです。 その結果、前には進むものの全員のオールが美しく揃うなんてことはあるはずもなく、結構バラバラな様子が見てとれました。 これを専門用語で、「千手観音」と言うとのこと。(笑)

今は千手観音でも、春のカッターレースまでには見事に息の揃ったオール捌きになるんでしょうね。 この千手観音を見てしまったので、次は彼らの成長ぶりを見るために何としてでも春のレースを見学したくなりました。 でもあの場所は学長専用だしなあ。。。。(笑)


ローマは一日にしてならず。 千里の道も一歩から。 カッターレースも千手観音から。(笑)


頑張れ1年生!


その4に続く。 次はいよいよ本校潜入です!



2016年1月17日 (日)

長年の願いが叶った防衛大学校探検!(その1)

カリフォルニアから復帰してわずか2か月。 正月早々いきなりビッグイベントのプレゼントがありました。 6年前から行きたい行きたいと話していた遺構の探検に行くことができたのです。 

遺構探検と言うといつもは立ち入り禁止の場所を座って入ったり(笑)進入禁止の看板があるところは後ろ歩きで入って看板が目に入らなかったり(笑)してしまうことがほとんどだったのですが、今回は違いますよ~。


普段から団長の行動をヒヤヒヤしながらご覧になっていた皆さん、安心してください、今回はオフィシャル探検ですよ!




Photo

場所は走水。 防衛大学校・走水海上訓練場です。




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馬堀海岸から観音崎に向かって走って走水港を過ぎる辺り、左側にこのような建物があることを記憶されている方も多いでしょう。

今回はここを皮切りに防大本校施設内も見学の予定です。


さてオフィシャル探検と書きましたが、単に入場許可を頂いたと言うだけでなく、なんと防大の幹部・中塚さまがアテンドしてくださるという、三浦半島の一住民にとっては夢のようなシチュエーションです。 なぜこのようなことが実現したのでしょうか?

話は2009年にさかのぼります。 この走水海上訓練場内に存在する怪しげな遺構を取り上げたことがありました。


・走水・伊勢山崎の廃墟の実地検分(2009年9月21日)

http://miura-and-others.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-3774.html

この時にこの遺構を見たいがために図々しくも 「防大職員とお友達にならないと。。。 だれか団長を招待しても良いという方、連絡ください!」 と書いたのです。


その後、この遺構の正体が判明し、探照燈(サーチライト)跡だった、ということを取り上げました。

・伊勢山崎は灯台だった?(2009年10月1日)

http://miura-and-others.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-153a.html


今回お話を伺ったところ、この当時の防大の内部資料ではここを「砲台跡」と記していたとのことで、中塚さまが私のブログをご覧になって、どっちが正しいのかを調査された結果、団長が正しいとの結論に達し内部資料を修正されたとのこと! そんなこともあってお礼もかねて団長を是非ご招待となったらしいのですが、その後団長はカリフォルニアへ。 2か月前にようやく三浦半島へ帰って来たことで今回のオフィシャル探検が実現した、という経緯なんです。

いや~、パトロールは続けるもんですな~。




さて土曜の正午に訓練場で中塚さまと待ち合わせ、いよいよ探検開始です。 今回は団長だけではもったいないので、三浦半島デジカメ便りのShuさん、野毛パトロール主任のKKYさんも参加。 いきなり施設内の歴史的な物件や防空壕を見学させていただきテンションMaxな団長一行なのでした。 あまりに見どころが多かったので何度かに分けてアップしないといけませんが、まずはこの探検のきっかけとなった探照燈をアップしておきます。





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でーん! 長年求め続けてきた探照燈がついに目の前に!! うぉ~っ!

しかーしこれまでの外部からの調査のみで思っていたことと、だいぶ違っていたことが判明しました。 

・この小屋は山の尾根の端に建っていると思ってましたが、この通り独立した岩山だったのですね~。

・この岩山の小屋のみしかないのかと思ったら、他にもいくつかあるんですね~。






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少し右にパンした写真です。 小屋だけでなく全部で4つの施設から構成されていたことが判明しました。 左から

・見張小屋だったと思われる遺構。 これのみは訓練場外部からも見ることができます。

・給電施設だったと思われる建屋。

・探照燈跡 その1

・探照燈跡 その2 (この写真でははっきり写ってない)


ではその一つ一つを見て行きましょう。





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まずは見張小屋。 

残念ながら草ぼうぼうと言うだけでなく、古いコンクリートの階段や手摺が腐食していること、小屋自体も危険な状態とのことでここから眺めるだけ。 でも追い求めて6年。 目の前に現れた見張小屋ちゃんは愛らしかったな~。





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給電設備です。 おそらく戦時中はここで発電して2機の探照燈に給電していたのだろうとのこと。





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隙間から内部をのぞくことができましたが、残念ながら当時の様子がわかる様なものはありません。





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次に探照燈1です。 こちらはレンガ積みでイギリス積みとなっていました。 

おそらくここが入口で送電線もここ経由で敷設されていたのではないかと思います。





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探照燈1の内部。 これもイギリス積みの煉瓦構造ですね。 

上部は丸いコンクリ構造となっていますが、残念ながらそこに上がることはできませんでした。





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こちらが探照燈2。 なんと隣の探照燈1と違ってコンクリート製の土台となっていました! 

ということは1と2で建造された時代が違うってことですよね。 コンクリの方が新しいのでしょうから、第2次世界大戦に備えて、あるいは戦時中に追加されたものなのかもしれません。

こちらは入り口から先は土砂等で埋まっていて中に入ることはできませんでした。 しかーしその代りこちらは上に登ることができるんですよ。





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これが探照燈2の上部。 真ん中の穴に送電線を通しその上に回転式のサーチライトがあったのかなあ。

この丸い構造、ぱっと見砲台跡かと思ってしまいますね。 それで内部資料にはそう書かれてあったのかもしれませんが、団長の記事、および砲台に付き物の弾薬庫が見当たらない、ベテラン幹部がここにいらっしゃった時に「これは砲台の構造ではない」との指摘などで探照燈であったと結論付けられたとのこと。







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それにしも絶景だ~。

毎年春には草を刈り、4月の防大短艇競技(カッターレース)の時には学校長がここに座られてレースを見学されるのだそうです。 そんな話を伺い、団長一行も偉くなった気分で走水の海を見続けました。


その2に続く。。。。





2012年5月31日 (木)

間口漁港横の廃墟

三浦半島最南部、剱崎灯台から三崎市街地にかけて複雑な海岸線が続いています。 遊歩道も整備されているので、天気のいい日にはブラブラあるいて岩場と海のコントラストを楽しむには絶好のところ。

剱崎の灯台を挟んで東には間口漁港、西には松輪漁港があり、釣り人には馴染深いところですね。

以前職場の釣り仲間と間口漁港の船を仕立てては色んな魚を釣っていたので、団長にとっても庭のようなところです。


さてその間口漁港、以前から気になっている廃墟のような建物があるので見に行ってきました。






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ここ、港の西側です。 この奥に何やら怪しげな建物がありますね。






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やはり住んでいる気配がありません。 ツタが絡まり始めています。 あと数年もしたらものすごいことになりそう。。。。

ところでこの家の形、あまり民家らしくないですけど、何だったのでしょう? なにかの観測所っぽいけど。。。






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入口がありました。 ここしばらく人が通った形跡が無いので廃墟決定です。

実はこの時、近くに漁師さんたち数人がいたのですが、ちょっと怖そうだったので気が小さい団長は聞けずじまいでした。(^^);  今度顔見知りの漁師さんを見つけたら聞いてみようっと。




2012年5月28日 (月)

観音崎灯台二代目の残骸の今

島根弾丸ツアーのまとめでキャンプ座間探検の反省会に言及した時に、はたと思い出したことがあります。 その時の仕上げとしてキャンプ座間内のスポーツバーでビールを飲んでいた時に、探検主催者のるまさんから、「そう言えば観音崎灯台の残骸って最近どうなっているのか? 是非調査して。」 と依頼されていたのでした。

最近は人と話していたことも三歩歩くと忘れてしまいます。(笑)  思いだしただけでもすごいことです。(笑)

と言うことで忘れないうちに現場検証に行ってみましょう。


その前に復習。 観音崎灯台はヴェルニーの監督の下、明治初期に初代が完成しました。 八角形のレンガ造りです。 (はい、この辺りはよこすか検定に出ますよ。(笑))

その後、2代目が大正時代に作られたのですが、、、、、直後に関東大震災に見舞われ崩れ落ちてしまったのだとか。 その後に作られたのが現在の3代目灯台なのです。

で、その崩壊した2代目のパーツがそのまんま海岸に残っているのです。 復習は以上。






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と言うことで観音崎の遊歩道に出動です。 

相変わらずここから見る東京湾の眺めは素晴らしいですね~。 羽田の34Lに着陸する旅客機も沢山この上空を通るんですよ。(笑)

るまさん依頼の残骸、この景色の中にあるのです。 足元をアップしてみると、、、、






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おお~、明らかに人工のものらしい塊が! 

でも足元はちょっとした崖になっているので、まっすぐそこに行くことはできません。






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現場から少し走水側に寄ったところに海岸に降りる小道があるので、そこからアプローチします。 

この砂場~岩場を歩いてこの先の角を曲がると、、、、






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ありました! 2代目灯台の残骸です。

このデザインとサイズ、それと人一人が通れる位の穴から推定すると、灯台の最上部付近の構造物ですかね。 


本年の9月1日で、これができてその直後に崩壊してから89年となります。 その間ずっと潮の満ち引きに耐えてきたのですね~。 せめて遊歩道に看板を設置して後世に伝えてほしいものです。 



2012年5月27日 (日)

本州制覇!島根弾丸ツアー その5 : 湖の真ん中で火山の火口を見た!

至福の松江パトロールから明けて日曜日、昼過ぎの飛行機で羽田へ帰るまで松江~米子空港間をドライブの予定です。

まずは起床後にホテルの最上階にある大浴場で目覚めのシャワー。 宍道湖と松江市内が良く見えました。 その後KKY氏とバイキング方式の朝食で、納豆、玉子、魚類を食べて準備万端! 

チェックアウト後は実家宿泊のjunko団員氏と合流して出発です。 まずは宍道湖の隣の中海に浮かぶ大根島(だいこんじま)へ向かいました。 フラットに見える大根島、実は火山活動でできた島だそうで、その中に溶岩が流れた隧道が二つあるって言うじゃないですか。 ここもガイドブックには載ってませんがこれは見ないといけませんね~。

でもその溶岩隧道、国指定の天然記念物になっているというのが不安材料。。。。(笑)  前日の七つ穴以降、 「天然記念物」 という言葉にはだまされない人間に成長したはずの団長ですが、「隧道」 という言葉にグラッときてしまったのです。。。(笑)  

期待半分、不安半分で一つ目の溶岩隧道に向かってみると、、、、






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ありゃっ! 立入禁止??






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金網から覗いてみると確かに洞窟らしきものはありますが、せっかくはるばる来たのにこれを眺めておしまいなのか??

またまた 「天然記念物」 という言葉に騙されてしまったようです。(笑)  成長してませんね。 

さてこれは一つ目の洞窟。 もう一つあると言うことなので、半分ヤケクソでそちらも見に行ってみることにしました。





 
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と、そこにはしっかり鍵のかけられた入口が!  またまた騙されたのかあ、ともう笑うしかないかと思ったその時、見学したい人は◇□○△まで電話してチョーダイ、と言う張り紙を発見です!  もうどうにでもなれと言う気分でjunko団員氏が電話してみると、、、なんと数分で案内人が来てくださると言う返事があったではあーりませんか!

で、待つこと7-8分、本当に案内人の門脇さんが到着! 門脇隊長、世界中の洞窟に行きまくったと豪語する、もういかにも学者っ!てな風貌で毎晩夢に出てきそう。。。。。






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隧道に入る前、まずはレクチャーです。 普段鍵がかかっている理由は、全世界でこの隧道にしか生息していないという、「イワタメクラゴミムシ」 というすごい名前で、しかも放送禁止用語まで含んでいる生き物がいるのだそうで、それの保護のためなんだって。 

いままで七匹発見されているそうですが、もう何年もここに潜っている門脇隊長でさえ三回しか見たことが無いそうです。

そのほか、「キョウトメクラヨコエビ」 という、これも放送禁止用語を含むエビもいるそうで、こちらは運が良ければ見ることができるそうだ。

それにしても語り始めた門脇隊長、もう止まりません。 語る語る。 ひょいと潜って、チラッと見ておしまいかと思っていたのに、このツアーはひょっとして夕方までかかってしまうのではないかと心配になるほどでした!






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一通りレクチャーが終わると、いよいよ溶岩隧道へ突入! 全員懐中電灯を持ち長靴に履き替え隊長の後に続いて階段を降ります。 中段くらいに差し掛かると空気が急に冷たくなり、地下に降りていることを実感できました。

さて隧道内部に着くと、内部に頑丈そうなテントがセットされていました。 隊長曰く、防弾チョッキの数倍の強度を持つ素材で作られているのだそうです。 

なんで?






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理由はこれです。 落石。 あちこち脆くなってきていて、このように天井から岩が突然崩落してくるのだそうです。 こんなのに当たったらヘルメットの有無にかかわらず命は無さそうです。 こわ~。 

それにしてもそんな危険さがありながらもこの隧道を見る価値とはなんなのでしょうか? さっきのゴミムシ以外の理由があるのかな?

そんな疑問に隊長から驚愕の説明が!

「この隧道、世界中から学者が見に来るんですよ。 なにせ大根島ができたとき、隧道内部のここ(この写真部分)が火山の火口だったんです。」

わーお! 湖の真ん中の小島で、しかも地下洞窟で火山の火口を見ることになるなんて、全く想像もしてませんでした!  ぞぞ~っ!






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火山火口の反対側に進むと岩肌から糸のようなものが沢山垂れ下がっていました。 これは植物なんだそうで、洞窟内の湿気を栄養分にして育つのだそうです。 全く光が無く湿気が高いと言う特殊な環境に適応したのでしょうね。 すごい。






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更に進むとこの看板でテントはおしまい。 その先には落石がゴロゴロしてました。 でも丈夫なテントなんだから、その先にも設置すればいいのでは? と思ったのですが、隊長の指差す先を見てみたらなんと、厚さ1m位の層に亀裂が入っていて、これがもし崩落したらさすがのテントでもペシャンコでしょう。

それにしてもええもんを見せてもらいました。 門脇隊長のキャラクターと相まって強烈な印象でしたよ。 

いや~、天然記念物っていいもんですね!(笑)


さて溶岩隧道で想定以上に時間を使ってしまいました。 次は境港の例の場所に向かいます。 






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そう、水木しげるロード。 団長は二年前の鳥取弾丸旅行で訪れてますが、初めてのKKY氏は興味深そうにあちこちキョロキョロしてます。

団長的には目玉おやじ街燈の後ろに見える自衛隊のアンテナの方が萌え~なんですけどね。(笑)

それにしても水木しげるロード、相変わらず徹底してました。 沢山の妖怪があちこちにいるのはもちろん、目玉おやじだけ見てみても、この街燈、タクシーの天井のサイン、パン屋さんのパン、それに、、、、、






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散歩中の犬の背中にも!(笑)


そうこうしているうちに、あれっ? 帰りの飛行機の時間まであと80分しかないぞ! 

でもなにか美味しいお昼ご飯が食べたいのです。






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ってことでデミオを飛ばして向かったのが境港の水産センター、「大漁市場なかうら」 の中にあるレストランです。 注文した時点であと70分しかありません。

団長が頂いたのはこれ、とろハタ丼です。 とろろが載ったご飯の上に皮目を炙ったハタを乗せたどんぶり。 

小型の白身魚だったので淡泊な味を想像して口に入れたらビックリ! 独特のトロッとした旨さが口に拡がります。 たまりませんね~。 時間があったらお代わりしたくなるほどの美味しさでした。 で、食べ終わった時点であと55分。

残念ながら市場内での買い物は諦めて空港に向かいます。 途中ガソリンを入れ、空港に着いてからはレンタカーを返却し、チェックインしたのが出発30分前。 何とか間に合いました。


それにしても充実した弾丸ツアーでした。 団長的印象では、全都道府県の中で島根県は佐賀県と並んで地味な印象でしたが、実際に行ってみるとところがどっこい、風光明媚、美味しいものが沢山、それに何より人が素晴らしいじゃあーりませんか。 スモークハウスの御主人、根っこやの社長さん、溶岩隧道探検隊長、強烈な個性のお三方にノックアウトされてしまったのです。 また行ってみたいものですぞ。

盛り上げてくれたKKY氏、そして地元出身者としてこの弾丸ツアーをプロデュースしてくれたjunko団員氏に感謝。  近々野毛で反省会を開催しましょう。(笑)  


って、これに限らず未開催の反省会がどんどんたまっているぞ。 キャンプ座間探検反省会、吉井古道散策反省会、それに松江反省会。 行事が終わっても忙しい団長なのでした。(笑)

ってことで、おしまい。

2012年3月25日 (日)

防空壕と砲台オンパレードの夏島貝塚に潜入!

またまた潜入なんてタイトルを付けてしまいましたが、実のところは本日、横須賀市観光ボランティアガイドの会が主催された夏島貝塚の見学会に参加してきた、ってことです。(笑)

夏島は縄文時代の貝塚が見つかっただけでなく、明治から第二次世界大戦にかけては東京湾の要塞として様々な軍事施設が作られたところ。 国指定史跡となっているので開発はできず現状保存するのみなので、普段は立入禁止となっています。 ということで今回のような見学会は貴重ですね。

今日はベースの公開日でもありましたが、団長はGWやハンバーガーには目もくれず、夏島見学会に参加したのでした。






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現地申し込みの順番で、80名の参加者は6つのグループに分けられました。 団長のグループの観光ボランティアさんはなんと81歳! 80歳以上でも勤まるのかどうかを確認するためのテストケースで採用されたとおっしゃっていましたが、どうか元気に活躍され、団長が80歳になったときにこういう仕事ができるよう、道を切り開いて下さい!

ということでまずは夏島の歴史についての簡単な説明を受けた後、、、、






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普段は施錠されている扉からいよいよ潜入です!






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夏島は小山になっていて、地上部分にはこのような大きな防空壕がいくつかあります。 ここにかつて零戦の防空壕だったそうで、ここから出た後はすぐ横の追浜飛行場(現在の日産テストコース)から飛び立っていたとか。 ここから近い貝山緑地には海軍航空隊の碑がありますね。






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地上部分から52mの頂上へはこの階段を登っていきます。






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少し登ると、第2層目の防空壕が現れました。 先ほどの零戦格納庫である防空壕の上に掘られたものです。 山の向こう側まで貫通しているので、小さな光が見えますね。

単に細い通路に見えますが、この層には海軍病院が入っていたほど、あちこち掘られているらしい。






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更に進むと、3.11の地震で崩れた部分も。






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頂上にはコンクリートの基礎がありました。 通信棟の跡だそうです。






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更に進むと貝塚があります。 この写真の真ん中からやや下、貝殻が層になっているのがわかるでしょうか? 

貝塚って、いかにも歴史ある遺構のように思っている人もいるかと思いますが、まあ昔のゴミ捨て場ですよね。(笑) ここに人が生活していた証拠であり大変貴重なものなので、じっとしてここから動かなくなる好き者もいるらしいのですが、防空壕に比べたらとても地味です。(笑)

ところでここで見つかった貝殻はカキ、バイガイなどに加えシジミもあったそうで、この辺りでも採れたんですね。 昔の人は肝臓が丈夫だったのでしょうか?(笑)






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機銃砲跡や砲台跡があちこちにありました。 ここは手前側と奥側に二つの砲台があったところ。 にょきにょきと残った鉄筋がその存在を物語っています。 

ただしこの砲台は実際に使用されることなく、第二次大戦後に取り外されたのだそうです。






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2連砲台の横には弾薬庫跡が。

レンガ積みがきれいな状態で残されていました。






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頂上の見張り用鉄塔です。 登ってみたい!

このほかに探照灯跡、見張り台などがあり、この小山が全て要塞として機能していたことが伺われました。 

なかなか興味深いツアーでしたが、残念ながら防空壕の内部は公開されず。 現状保持とは言うものの、一部でも整備して見られるようになれば良いのですが。


とは言え興味深いツアーでした。 ボランティアの皆様、ありがとうございました。




2012年3月12日 (月)

千代ヶ崎砲台跡付近の最近の様子

かつてはマムシは居るは怖そうな警備犬が見張っているはで、とても怖そうな千代ヶ崎の横須賀システム通信隊でしたが、少し前にその役目を終了し山の上のアンテナからはワイヤーが外され、警備犬もいなくなってしまいました。

その後、すぐ近くの千代ヶ崎砲台跡が公開に向けて整備されるという情報があったのですが、どうなったのでしょうか? 

久しぶりにシステム通信隊近くの相互オートサービスさん方面から砲台跡地方向を見に行ってきました。






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私有地入口のゲートに近づくと、あれあれっ? 以前は門の向こう側には鬱蒼とした木々が拡がって何も見えなかったのに、今は久里浜沖の海が丸見えになっています。






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門の向こう側はこんな感じ。 

雑木林がきれいに伐採されてます。 門の横には人が通れるスペースはあるのですが、ここから先は私有地につき立入禁止。 よってこの景色から想像するしかありませんが、砲台跡の公開に向けた動きであると信じたいです。 

団長以上の猛者たちのサイトを見ると、とても保存状態の良い遺構が残っているようですからね。



2011年10月15日 (土)

横須賀ベース再訪その4: 感動のアレに再会!

さてお昼御飯です。 前回はメインゲート横のレストランで美味しいハンバーガーを頂きましたが、今回はショッピング街にあるフードコートです。 アメリカンな重いランチをがっつり食べよう(笑)、という魂胆です。

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規模はさほど大きくないながらも、有名チェーン店が並ぶ様子はまさに米国のショッピングモールにあるフードコートそのものでしたね~。 懐かしい~。 おまけに店内のテレビではフットボールの試合が放送されてるし。 

そう言えばスーパーボウルの試合当日などは職場のあちこちから歓声が聞こえてくるそうですが、防衛体制は大丈夫なのでしょうか?(笑)

さて何を食べようかといくつかの店舗を見て、んんっ? と気が付いたことがあって最終的に選んだものは、、、、、

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サブウェイのサンドウィッチです。 ハンバーガーやチキンなど、ヘビー級を食べる気満々だったのに何ですか、この軽さは?  これじゃあ久里浜のイオンのフードコートと同じじゃないですか!(笑)

 

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答えはコレ。 イタリアンBMTです。 

サブウェイは米国と日本の店舗でメニューが違っていて、アメリカにはあるのに日本のお店では揃えていないメニューがいくつかあります。 このイタリアンBMTもその一つで、これが団長の大好物だったのです。

5年ぶりに三浦半島に戻ってきて何に最も落胆したかと言えば、日本のサブウェイにこれが無いことを知った時でした。(笑)

で、思わぬところでの再会。 ベース内のサブウェイは本国のメニューそのまんまなんですね~。 

さてこのItalian B.M.T、2種類のイタリアンサラミがサンドされているのですが、これがね~、ちょっとクサイ系の癖があってウマいのなんの。(笑)  好みが分かれる味だと思いますが団長にはピッタリ!  是非日本でも扱ってほしいです。

日本サブウェイ殿、是非日本でもItalian B.M.T を取り扱ってください! 全店展開が大変だったらイオン・久里浜フードコート店のみでも可。(笑) 

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大満足の昼食後、ツアー再開です。 これ、ピザ店のデリバリーに使われているちっこい車。 スズキのTwinです。 なんか、ほんわかした雰囲気がよろしいですね。

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なんとまあ、新車のディーラーもあるじゃあーりませんか! ビッグ3の車だけじゃなく、ハーレーのビッグバイクまで売ってました。 売っている車は本国仕様、つまり左ハンドルです。 ここで買ってしばらく日本で乗った後は本国に持ち帰るのでしょうかねえ。 そうだとすると運送費用が馬鹿にならないし、第一、選択肢も少ないし、どんな人がここで買うのか今一つ理解できませんでした。

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こちらには日本車の中古車ディーラーがありました! 横須賀でよく見るYナンバーの車はここで売られていたんですね~。 なーるほど。

10年程度の高年式車が中心とあって安い安い。 99年スバル・フォレスターが$1500でしたよ。

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さてショッピング区画を後にして、次は前回のツアーの宿題となっていた地点にやってきました。

この住宅の後ろにある小山の中に何かが見えたんでしたよね。 それが何なのか、探る、あるいは現場まで行くのが今回の宿題です。

 

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まずはズームアップして現物を確認。 何かの碑であることは間違いないですね。 

次にこのお宅周辺を確認しましたが、そこに登るための道は見当たりませんでした。 おそらく藪漕ぎしないと辿り着けないものと思われます。 う-ん、残念。

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と言うことでズームアップした写真から切り出してみると、「忠魂碑」、と読めました。

後でFかわさんがネットで調べてくれたのですが、「東京湾要塞」さんのサイトで取り上げられていました。 → こちら

それによると、第一次世界大戦で戦死した砲術学校生の霊を弔うためのものだそうです。 合掌。 ベース内にはこういった大正の遺物がまだまだ残っているんですね。 

さてもう一回だけ続く。

2011年9月17日 (土)

三浦霊園の入口横、これは砲台跡じゃなかろうか?

三崎の、「松輪入口」信号から三浦霊園の裏を通って松輪のエネオスに通じる道路、景色は良いし適度に曲がりくねっていて、団長の大好きな道の一つであります。 畑、海、空がこれほど見事に揃うところってそんなにありません。 

この日もエネオスに向かってパトロールしていましたが、暑いと言いながらも空気は澄んで、秋の気配を感じることができました。 

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三浦霊園の裏側まで来たところで、あまりの綺麗さにしばし一休みして拡がる景色を眺めていましたが、、、、、

ここからこんな風に景色をじっくり見たのは初めてかもしれません。 どうもこの写真中央に気になるところを見つけてしまったのです。

ズームアップしてみると、、、、

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おお~、山の上の畑、見事な台形ですね~。 ここまで頂上がフラットだと少し不自然じゃないでしょうか? これだけ削ってまで山の上に畑を作る理由がなにかありそうですね。 

と言うことでまずは現場検証に向かいます。 iPhoneの地図アプリを起動するまでもなく、簡単に発見できそうです。

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おそらくこの道でしょう。 三浦霊園正面入り口近くから分かれた道でした。 

狭い登り道でしたが、この曲がり具合、鬱蒼とした木々。 とてもいい雰囲気ですね~。 

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最後は上り坂から分かれて更に急な道となっていました。 これを登ると先程の畑に行きついたのですが、うーん、正直ここに畑を作った理由はよくわかりませんでした。

ってことで分かれ道まで下ってきたら、ん? んん??

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なんだ? この穴。 人工物のにおいがプンプン。 中は水没してしまっているようでした。

穴だけじゃなく、この壁自体も石を積み上げて作られたような感じです。 

 

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坂道の下の方にも穴がありました。

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もう一つ。 完全に人工の壁と穴ですね。 

ってことでこの小山、上がフラットでサイドは石で固められ、中には怪しげな通路が。

と言うことは、砲台跡? 

だとすると2枚目の写真、ホントにそう見えてきます。 

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