フォト
2022年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

立ち入り禁止

2016年11月24日 (木)

横須賀新ごみ処理施設見学

Photo

現在長坂に建設中の横須賀市の新ごみ処理施設を見学する機会がありました。

この施設、建設が発表された2010年に団長はいち早く現地に潜入してレポートしましたが、あれからもう6年が経つんですねえ。 前回は場所選定に至る経緯や計画発表が唐突だったことを指摘しましたが、今回は見たまんまのレポートのみです。


なお今回の見学会は地元有志の方々向けに開催されたもので、団長は日ごろの活動が認められ(?)招待されました。 ありがたや~。






Photo_2

まずはこの計画と進捗状況のおさらいです。

この看板に書かれているように、平成28年の現在は地盤整備の真っ最中。 最終的には3年後の平成31年度に完成して稼働開始。 稼働後はここで横須賀市と三浦市のごみを焼却します。


この完成図を見て、現在稼働中の南部処理場よりも煙突が低いことが気になり質問してみたところ、海辺にある南部処理場は170mでここは60mほどの計画。 しかしながら建設地自体の高度が120m以上あるので、煙突高度的には南部処理場より少し高いようです。






Photo_3

新処理場へのアプローチのために建設されたトンネルです。

横須賀には数えきれないほどのトンネルがありますが、これはその中でも最新のもの。 銘板が取り付けられる部分にはまだ何もありません。 トンネル名は今後検討だそうで、おそらく地域にちなんだ名前になりそうとのこと。 今年の初めに工事現場を確認した際には、「横須賀トンネル作業所」 との看板があったので、ずいぶんと大きな名前をつけちゃったなあ、と思ったのですが、実際には別の名前になりそうで良かった~。

銘板取り付け部分がかなりの横長なので、どんな名前になっても大丈夫そう。 でも、「横須賀市三浦市広域ごみ処理施設・プラ減容施設もあるでよ隧道」 なんて名前にならないことを願います。(笑)






Photo_4

さて見学者一行は新隧道を進みます。

新しいトンネルもその先の付帯道路も緩やかなカーブを描いています。 これは、直線にすると勾配が急になりすぎてしまうことと、速度抑制効果を狙ってのものだそうです。

ところでトンネル内には照明施設がまだありません。 真ん中付近は結構真っ暗! もちろん施設が稼働するまでには取り付けられる予定です。






Photo_5

新トンネルを抜けると横須賀中央方面の景色が拡がっていました。

かつては衣笠や平作方面から大楠山へ通じる遊歩道からこの景色が見えたのですが、新処理場の造成に伴いそのルートは現在通行止めになっています。 処理場完成後に再開予定だそうで、その際には処理場横にハイカー用のトイレを整備するそうです。







 

Photo_6

200mの新トンネルと500mの付帯道路を通って新処理場建設現場にとうちゃこ!

現在は処理場の土台がほぼ完成して、土台上にアプローチしする道路用の盛り土が行われているようでした。

かつてここにあったプラスチックごみの減容施設はいったん解体され別の場所(長坂処理場内)で稼働中。 新処理場完成後は同じ敷地内に作り直して同時期に稼働開始予定。



さて新処理場ですが、詳細計画は横須賀市のサイトを見て頂くとして、今の南部処理場から大きく変わる点は以下の通り。


・焼却炉は3基体制。 1基ずつメンテしながら安定稼働を狙う。

・焼却温度を1000℃まで高めることができ、現在不燃ごみとして処分しているプラスチックを焼却することができる。 
 → 高温焼却でダイオキシンを出さずに燃やす、というのが全国的な最新トレンドになっているようです。 稼働後は当然分別方法は変わってくるでしょうが、それをどうやって周知させるかが課題になりそう。

・プラゴミを焼却できない南部処理場とは併存できません。 よって新処理場稼働後は南部処理場は稼働停止となる。
 → これによって南部処理場の排熱を利用した隣の温水プールは熱源を失いますが、プール利用者多数のため新たにボイラーを設置してプール営業は継続とのこと。

・新処理場の焼却熱利用方法は、発電機設置によって場内電力の確保、および余剰電力の売電で運転費用を賄う方向。 あらたな温水プールは作らない模様。(場所が不便)

・ばい煙のモニタリングポスト設置場所は現在検討中。 今後住民の意見を取り入れながら進める。

てなところでしょうか。


場所が不便なところなので、パッカー車の移動導線を考えると、ここの稼働前には現在工事中の久里浜田浦線・衣笠IC以北が開通していることが必須条件と思われますが、市側も同様に考えていて進捗状況はチェックされているようです。

さらにパッカー車の導線をもっと短縮するために、この新トンネルからのアプローチのほか、山科台方向からも入ることになるとのこと。 ただし粗大ごみ持込みの一般車は新トンネルからのみとなります。





Photo_7

衣笠・平作~大楠山の遊歩道は新処理場手前で通行止めになっていました。 再開通まであと3年ちょいです。

ということで貴重な機会でした。 今後も機会あるごとにチェックして行きましょう。

2016年5月 8日 (日)

剱崎灯台横の鉄塔、概要が明らかに!

2


4


剱崎灯台の横に鉄塔が建って、三浦半島を代表する景色の一つが雰囲気ぶち壊しになった件、概要が判明してきました。


既に元記事にコーヒービーンズさんからコメントがあったこと、および別途その筋の専門家から頂いた情報で、この鉄塔は海上保安庁が発注した 「(仮称)剱埼レーダー施設」 と言うものであることが判明しました。 海保のサイトには、この鉄塔そのもの、および鉄塔に設置したレーダーの入札結果が掲載されています。 ただし仕様書が見当たらないので内容まではわかりません。


しかしながら専門家の御意見では、この鉄塔の一番上にあるバーアンテナ(レーダー)で中長距離の広域監視、その下のベーゴマを逆にしたようなアンテナで操作系やレーダーのデータを送信しているのだろうということ。 レーダーのサイズ、設置場所からして観音崎付近から大島北側付近までをカバーしていそうです。


灯台付近は東京湾口をすべて見渡せる素晴らしい景色の場所ですので、レーダーにとっても第一級地。 しかもハイテクレーダーによって混雑する東京湾の安全を確保できることは理解できました。 だけどそれがこの場所しかなかったのか、今一つ納得がいきません。 地図で確認すると隣の間口側の崖上でも良さそうだし、房総側でも適地がいくつかありそうです。 航行の安全と景色、どちらが大切ですか? と問われたらそりゃあ航行の安全なんだけど、だからと言って築90年の歴史ある灯台の横に醜い鉄塔建設を許容するわけではないですよね。 この辺りはセンスの問題。


海上保安庁の仕業とは言え、もう一つ、三浦市は何をしてたのか、と言うことも書いておきたいと思います。


三浦市のまちづくりを定めた 「第四次三浦市総合計画2013年版三浦まちづくりプラン」、このなかで2013年から2017年までの4年間で実施する計画が定められていますが、剱崎灯台付近に関しては、


松輪・剱崎周辺 : 自然と農地に囲まれ、間口漁港、東京湾口を見守る剱崎灯台、遺跡等のある変化に富んだ環境を活かし、自然と対話する交流ゾーンを形成します。


と記されています。


しかし制定から3年経った現在、剱崎周辺でなにか変化があったでしょうか? 団長が見るところ、灯台の横にレーダー鉄塔が建っただけです。 自然と対話する交流ゾーンが鉄塔?(笑) つまり三浦市は計画だけは制定したのに何もしていない。 海上保安庁とそのような計画についての情報共有もしていない。 だから海保が三浦市の意向を知らずに鉄塔を建ててしまった。 そうとしか思えません。


美観が大きく損なわれてしまった一義的な責任は海保にあるのでしょうが、三浦市の責任も問いたくなってしまいます。


これはいよいよ団長が議員に立候補するときが来たのか? 安心してください、もちろんしないよーん。(笑)



2016年5月 6日 (金)

剱崎灯台の風景が台無しに!

さてここで問題です。






1

これは三浦半島の有名な景色です。 どこでしょうか?


三浦半島を代表する景色なので、あ、あそこだ! と思いつつも何かヘンだぞ! と感じられた人が多いのではないかと思います。


では真ん中の塔の部分を拡大すると、、、、






4

ん? 鉄塔の裏に何か隠れてる。 灯台?


そうなんです。 ここは剱崎灯台。 三浦半島南部のあちこちから見えるアイコン的な存在で、近づくにしたがって崖の上にポツンと建つさまがとても牧歌的で、いかにも三浦半島の奥まで来ちゃった感を醸し出していたのですが、、、、、





2

いつの間にやら灯台横に灯台よりも大きい電波塔が建ってしまいました。(涙)


なんだよ、これ~。






3

これは今年の正月にパトロールしたときの写真です。

工事をしていたので何かが建つ、しかもこの頑丈な土台からしたら少し大きめの物、ということが想像されたのですが、まさかこんなでっかい鉄塔が建つなんて。

当時工事現場に掲示された計画表を見ても、誰が何の目的で何を建てようとしているのか全く分からず結構アヤシイ物件に見えたので嫌な予感はしてましたが、まさかこんなことになるとは。 


建ってしまった今でも、関係者立ち入り禁止、の看板以外、所有者を表すような表記は全く見当たりませんでした。 識者の方々からの情報を待ちたいと思います。





2016年4月26日 (火)

今度はベース(米国海軍横須賀基地)さまからご招待!?

このところ半島内のパトロールはサボり気味ですが、先日の防衛大学校さまご招待によるお花見など、各方面からサポートを頂きながらかろうじて「三浦半島」の名に恥じないブログとして首の皮一枚でつながっている様な状況です。 そんな窮状を見かねたのか、今度はなんと米国海軍横須賀基地(通称ベース)さまが団長をご招待してブログネタを提供してくださるとのこと! 


なーんて、ウソです。(笑) 真実は、本日ベースと横須賀市が共同で開催した日米交流イベント 「米海軍と一緒に清掃ボランティア」 に参加してきたのでした。



Photo

集合は朝8:10に正面ゲート。 団長は15分前に到着してベースの出勤風景を観察してました。 すると8時になるとベース内には米国国歌、続いて君が代が流れるんですね。 その間、誰もがその場に起立して立ち止まって聞き入ります。 遅刻しそうな人はヒヤヒヤものでしょう。(笑)

どこぞの国では国歌斉唱中に起立しないという学校の先生がいるようですが、そんな人がベースに勤務したら即日クビになりそうですね。


さて今回のボランティアは日本人17人、米海軍水兵さん20人が集まりました。 それぞれ1:1でペアを組んで日米談義をしながら汐入~横須賀中央付近の歩道のゴミ拾いを行います。



Photo_2

団長とペアを組んだのはテキサス生まれの女性水兵・ステファニーさん。 日本での生活のことや空母内の任務などで盛り上がりながらゴミを拾い続けます。

それにしても一見きれいに見える歩道、改めて良く見てみるといろんなゴミが落ちてるもんですねえ。 一番多かったのがタバコの吸い殻。 あとはコンビニ弁当の容器、缶・ビン・ペットボトルなど。 大物では段ボール、壊れた傘など収穫の多いゴミ拾いとなりました。


外人さんにゴミの多さを見られてしまって、なんだか恥ずかしかったなあ。 頼みますよ、日本人。



Photo_3

予定していた範囲を拾い終わったら一旦正門に戻って分別作業です。

これでボランティア活動は終了。 正味1時間半。 正直物足りません。 参加者17人、これだけのために平日の午前中に集合したのでしょうか?


そうなんです。 実はここからがホントのお楽しみ、ベース内ツアーにご招待いただいたんです。





Photo_4

ベース内を散策するのはいつ以来かと過去の記事を調べてみましたが、2011年10月にFかわさんにご招待いただいたのが最後なので、4年半ぶり!


旧横須賀鎮守府は相変わらずモダンなたたずまいで団長一行を迎えてくれました。





Photo_5

館内には311のトモダチ作戦に対して日本から米軍に送られた感謝状が飾られていました。 そう、現在ベースにいる空母ロナルド・レーガンもあの時は太平洋上の演習先から急遽駆け付けてくれたのでしたよね。 そういう記憶は大切にしなければなりません。




Photo_6

ベースの将校たちの発案で設置された311のモニュメントもありました。 これ、前回は見ていないような気がしますが、見落としたのかな?

「ビルは崩壊すれど自由はいまだ高くそびえ立つ」

ツインタワーを模した石碑と共にこの言葉が心に響きます。




Photo_7

いまだに現役の日本最古のドライドック、先日は自衛隊艦船の補修作業に使用されたそうです。 既に160歳。 これに比べたら団長はまだまだひよっこですな~。



Photo_8

ベース内を更に奥へ進みます。

いよいよ初対面のロナルド・レーガンに近づいてきました!


Photo_9

しかーし、今回は5月の出航に向けて補給物の積載作業が忙しく行われていて搭乗見学はできず。 うーん残念。 でも普段は見ることができない出航準備の様子はとても興味深いものでした。


このロナルド・レーガン、フル装備時は約5000人が乗船。 航空機は戦闘機、輸送機、ヘリなど約90機も搭載可能なんだそうです。 食事は1日およそ18,000食を提供するそうなので、それだけで途方もない量の貨物となるんでしょうね。

これだけ大きいと揺れとは無縁なのかと思ったら、意外とローリング(横揺れ)が大きく最初の数日は船酔いとの戦いだそうだ。 それだけで団長には無理そうな任務。(笑)


この後は三笠ゲート近くにあるカレー屋さんで水兵さんたちと共にランチ。 楽しい半日が過ぎました。 


ベースの皆さん、ありがとうございました! 今度は清掃無しでご招待御願いします!(笑)



2016年4月10日 (日)

防衛大学校の桜の銘木、右近と左近、乱れ咲く

01

昨年秋にカリフォルニアから三浦半島に復帰して迎えた日本の春、4年ぶりに桜見物となりましたが、残念ながら三浦半島付近では満開と晴天のタイミングがなかなか合わず、このままモヤモヤしたまま散って行くのかなあと思っていた金曜夕方、防衛大学校の幹部・中塚さまから、校内の桜が満開になったので観に来ませんか? とのお誘いメールが届きました! 


なんと、本校内の桜はだいぶ散ってしまったけれど、校門近くの例の巨木2本は4月6日(水)の入学式の日に満開となり、翌日の雨で少し散ってしまったけれど土曜日はまだ花見日和なのだそうです。 中塚さまは新入生受入れでお忙しいのにわざわざ時間を割いていただきヒジョーに恐縮ではありましたがこのチャンスを逃す手はありません。 


被写体が被写体だけに団長だけでは力不足なので、いつもとても印象的な写真を撮られている 「三浦半島デジカメ便り」 のShuさんもお誘いして、中塚さま、Shuさん、団長の3人での贅沢な花見と相成りました。 いや~、感謝感謝であります!







02

巨木は二本あって、これが校門に近い方にある大島桜。 すごい迫力!


大島桜ってソメイヨシノよりも先に咲くものだと思ってましたが、これだけの巨木になるとエンジンがかかるまで時間がかかるのかもしれませんね。







03

これがもう一本の、こちらはソメイヨシノです。 大島桜よりわずかにピンクががっています。

こちらも圧倒的な迫力がありましたが、大島桜に比べてたたずまいやサイズなど少しだけ女性的に感じました。








09

これがツーショット。 左が大島桜で右がソメイヨシノ。 どっちがどっちかわかりませんがこの二本は、右近と左近、と呼ばれているようです。


それにしてもこの美しさと迫力のヒミツはなんなのでしょうか?







05

ヒミツはこれです。 幹から分岐しているんですね~。 この分岐によって横方向に枝が伸びて、 ♬このー木なんの木気になる木~♫ のような形状になっているんです。









06

こんは太い幹が横に伸びるなんてありえなーい!





04

横伸びした枝を支えるための手入れも怠りません。 沢山の丸太によって支えられていました。


両方とも樹齢は軽く100年を超えているでしょう。 となると防大64年の歴史よりもはるかに長い。 ここが帝国陸軍だったときから日本の近代史を見続けてきたんですね。








07

スケールもさることながら、枝の先まで花の密度が高い。 ベテランンのアスリートが己の肉体の指の先まできっちりケアしていることに通ずるような、凛とした空気も感じました。







08

それにしても素晴らしいものを見せていただきました。

今後の人生でいろんなことに直面してもこの右近と左近を思い出せば勇気をもらえそうな気がします。 大げさですが、ホントにそう思いました。







10

おまけ。

防大の中で最も東京湾に近い建物である学生会館からの景色です。 丁度護衛艦「かが」がランドマークタワーをバックに海上自衛隊横須賀基地に向かっていました。 (ホントに「かが」かどうかは自信がありませんが、ネット上の画像と照らし合わせた結果、「かが」らしい。)  こんな景色を見ながら食事を頂けるレストランもあるんですよ。 くぅ~っ!


校内には沢山の新入生がいましたが、みなさん挨拶が素晴らしく、とても気持ちが良かった!  これからの4年間、大変な学生生活が待ってますが、この右近と左近のように頑張ってほしい!





2016年1月31日 (日)

長年の願いが叶った防衛大学校探検!(その4)

防大・走水海上訓練場の見学を終えた団長一行、次は山の上の防衛大学校へと向かいます。 海上訓練場からだと、走水神社の横を通り急な階段を上って15分ほどで本校の裏口に行けるのですが、、、、、 日ごろ鍛えられている中塚さまは息を上げずにスイスイと登られているのに対し、団長一行はどんどん息が上がって遅れてしまいます。(笑)


さて本校内見学の目玉は何と言っても花立台砲台跡。 普段はもちろん、一般人が入校できる毎年11月の防大開校祭の時にもそこだけは立ち入り禁止なのですが、その美しい佇まいと絶景は廃墟マニア、遺構マニアの心を捕えて離さないのです。


しかーし、ここで心配事が。 花立台砲台跡に通じる門の鍵は中塚さまの管理範囲外と言うことで、開いていれば入れるけど開いて無かったらごめんなさい/ここ数日は開いてなかった、とのことなのです。


ということで過大な期待は引っ込めて門に向かったところ、、、、、






28

うぉ~っ! 開いてる!!

この先にある野球グラウンドで学生が練習していて、その選手が開けてくれたものと思われます。 真剣に打撃フォームをチェックしていた学生さん、ありがとうっ!!






29

ということで、憧れの花立台砲台にゴタイメーン! 

か、かっけぇ~っ!






30

それに美しい! 円柱形の構造がなんとも艶っぽい。

第三海堡もそうでしたが、曲線デザインを取り入れたコンクリート構造物はグッときます。







31

内部もきれいな状態でキープされていました。 

かなりの大型の遺構なので内部はいくつかの部屋に分かれていましたが、それぞれがどのような役割を果たしていたのかはわかりません。 ここに置かれていたであろう設備は戦後にすぐに撤去されたのでしょうね。





32

なんだかトイレっぽく見えますが、ここはなんだったのでしょう?




33

円柱構造の2階部分の監視窓(?)から東京湾口方面を臨む。 敵艦が湾に侵攻してこないか、ここから監視していたのでしょうね。

それにしてもこの絶大な存在感に圧倒された団長一行、言葉少なくあちらこちらを眺め続けたのでした。





34

こちらが砲台跡。 たしかにこうして見てみると海上訓練場内の探照燈跡とは構造が違います。


ここからの景色はまさに絶景。 浦賀水道から東京湾口までのパノラマがダイナミックに拡がっていました。 近くの観音崎灯台からも素晴らしい景色を眺めることができますが、こちらの方が標高が高いため、同じ景色をより俯瞰的に観ることができるのです。 ここで初日の出を見ることができたら最高だろうなあ。


この後、学内の主要施設を見学。 射撃訓練場、第二大隊校舎屋上からの東京湾絶景、防大グッズが沢山ある売店、校内に展示されている戦車、魚雷、戦闘機などなどなど。 これらの多くは11月の防大開校祭のときに見学可能なので、是非とも多くの人に見てほしいものです。





35

最後に校門近くの見事な桜の木二本を見学。 この枝っぷり、見事な咲き具合なのでしょうね。 想像するだけでワクワクしてしまいます。 寒さの厳しい冬や暖冬、毎年コンディションは違うにも関わらず、不思議なことにこの二本だけは防大の卒業式にあわせて満開になるのだそうです。 今年はかなりの暖冬ですがどうなるでしょうか?


卒業式には総理大臣も臨席するので警備上の問題もあるでしょうから、当日は無理そう。 式の直後位にまた見に来たいと思います。 なーんて、普通に入ることはできないでしょうから校門から眺めるだけかなあと思っていたのですが、中塚さまにまたご招待いただけるかも? でもさすがにビール持込みは無理そうだ~。(笑)


お昼から4時間、2万歩、12㎞を踏破した防大探検もいよいよ終わり。 今回は立ち入り禁止を座って入ったなんてことはしていないので(笑)、守衛さんに堂々と挨拶をしたあと、校門で中塚さまとお別れしてバスに乗り込みました。

それにしても濃い探検だったなあ~。 こんな夢のような機会を提供してくださった防大と中塚さまに感謝感謝。 





2016年1月24日 (日)

長年の願いが叶った防衛大学校探検!(その3)

防大・走水会場訓練場内の散策はまだまだ続きます。 次は施設の海側に新しく設置された堤防方面へ向かいました。




19

新しくできただけあって白くてきれいな堤防ですね。

さてここでとても耳寄りな情報です。 この赤い部分、船を陸上へ引き上げるところですが、なんとここは2年に一度だけ堂々と入ることができるみたいですよ!

走水の夏祭りでは御神輿を船に乗せて海上を練り歩くのだそうで、最後はここから陸に上げるのだそうです。 その際はここまで見学者が入ってきて良いみたいです。


この場所から振り返ってみると、、、、









27

ほーら、行きたくなって来たでしょう~?(笑)

ちなみに走水の夏祭りは7月なのですが、海上神輿が出るのは西暦の奇数年とのことなので、ここに入るのは来年夏まで待たなければなりません。






20

さて出来たばかりの防波堤を見学します。 できたばかりとはいえ、既にカモメの楽園となっていて残念ながらフンだらけ。




21

先端の灯台周辺もこの通り。

写真を撮り忘れてしまいましたが、あちこちにコウイカの骨(靴べらみたいなヤツ)が落ちていました。 この辺りにいるコウイカをカモメが捕ってきて堤防で食べているようです。 人間でさえそんなに食べられない高級品なのになんと贅沢な!

ちなみにこの堤防を含めて訓練場内は釣り禁止なので、あちらこちらに大きなスズキや黒鯛が泳いでいる様子を見ることができました。 過去にはそれを狙ってこっそり進入してきた釣り人もいたようです。 気持ちはよく理解できます。(笑)


さてそうこうしているうちに訓練場内の雰囲気がちょっと変わってきました。





22

山の上の本校から学生たちが続々降りてきたではあーりませんか。

団長一行が訪れた土曜午後、丁度1年生達の必修となっているカッターの授業があったのです。 ラッキーなことにその様子も見学させていただけることに!

学生たち、今回が2回目のカッター授業とのことなのですが、前回はカッターの仕組みを学ぶことが中心だったので、この日は初めて海に出るのだそうだ。 そんな様子を見学できるなんて、何とも幸せです。





23

まずはこのリフトでカッターを海面へ降ろします。

ところでこのリフト、なんとまあ63年前に房総方面からここに運んで移設したらしい。 63年もの長い間潮風にさらされているのにまだこれだけ綺麗な訳ですので、いかに日ごろの手入れがきちんとなされているかがわかりますね。 宿舎できちんと畳まれた寝具、この写真には写っていませんが学生たちが脱いだ靴が見事に整列していた様(もちろん靴はみんなピカピカ!)、見習わないと。




24

堤防にはカッター用オールを収納した小屋が! 

一つ持たせていただきましたが、木製もファイバー製も重さ約5Kg。 重い重い。 これをぶんぶん振り回して漕ぐわけですから、学生たちはみんな相当の腕力の持ち主なんでしょうねえ、なんてことを中塚さまに言ったら、いえいえ、オールは腕じゃなくて全身で漕ぐものなんです、とのこと。 

力強くスピーディに漕ぐには全身を後ろに反らしてオールを動かす。 なるほど、イメージが涌きました。 腕だけで漕いだらあっという間に腕がパンパンになってしまうんだそうです。







25_3

初めて乗船する一年生たち。 まずは上官に舵の取り付け方を教えてもらっていました。 無駄口を叩く者はおらず、みんな真剣に各々の持ち場で準備してましたね~。

ところでカッターは土足厳禁。 上官も学生もみんな裸足で乗り込みます。 この日は暖かくて穏やかな日でしたが、慣れていない団長が乗ったらあっという間に足の感覚がマヒしそうです。





26

いよいよ出航! 大隊ごとに次々と出船です。

4月に入学して7か月。 日ごろ鍛えた肉体とは言えほとんどの学生が初めて漕ぐようです。 その結果、前には進むものの全員のオールが美しく揃うなんてことはあるはずもなく、結構バラバラな様子が見てとれました。 これを専門用語で、「千手観音」と言うとのこと。(笑)

今は千手観音でも、春のカッターレースまでには見事に息の揃ったオール捌きになるんでしょうね。 この千手観音を見てしまったので、次は彼らの成長ぶりを見るために何としてでも春のレースを見学したくなりました。 でもあの場所は学長専用だしなあ。。。。(笑)


ローマは一日にしてならず。 千里の道も一歩から。 カッターレースも千手観音から。(笑)


頑張れ1年生!


その4に続く。 次はいよいよ本校潜入です!



2016年1月23日 (土)

長年の願いが叶った防衛大学校探検!(その2)

防大・走水会場訓練場内、見どころは探照燈跡だけではありません。 中塚さまが団長一行を次から次へと様々な場所へ連れて行ってくださりました。




13_2

校内の最上階に設置されていた双眼鏡。 とりあえずここに置かれていますが元はどこにあったのかよくわかっていないらしいのです。 なぜかと言うと、、、






14_2

なんとまあ、昭和19年製、つまり戦時中のもの、つまりつまり日本帝国軍の所有物だったということですね。

終戦が昭和20年、それとともに日本軍が解体。 防大の開校が昭和27年。 7年間の空白があったわけです。 その間関係資料はほとんど処分され、この双眼鏡の出自がわからなくなったのでしょう。 探照燈の見張小屋に設置されていたのかもしれませんね。

それにしてもこの双眼鏡、さすがは日本光学工業(ニコン)製です。 71年経った今でも遠くの岩場で海鳥が戯れる様子をとてもクリアに見ることができました。 71年前は、いつ来るともわからない敵艦を探すために若い将校が緊張しながら覗いていたのかも。





15_2

宿舎内も拝見しました。 学生たちがこの施設内で訓練するときの宿泊部屋です。 

2段ベッドで大部屋で大変だな~と思う前に、まずはきれいに畳まれた寝具に目が行っちゃいます。 いや~素晴らしい。 

学生たちはこの施設内で実習したり(操船シミュレーターもあるらしい!)勉強したのち、この部屋で復習したり憩いのひとときを過ごします。 憩い、とはいえテレビやラジオはありません。 


そんな中で学生たちの唯一の楽しみがあるのだそうです。 それは何でしょうか??







16_2

正解はこれ! 自動販売機。 えっ??

これで飲み物を買って部屋で飲むことが楽しみなのだそうだ。 ほぇ~っ。 これが売切れたら大変なので職員の方々がこまめにチェックしているようです。

ひょっとしてこの中にこっそりビールやワインがあるかと思って細かくチェックしましたが、ありません。 当然か。(笑)




17_2

さて敷地内には防空壕らしき横穴が二つありました。 この穴が掘られた小山はこの通り強固な岩なので、上から攻撃されたとしても耐えられたでしょうね。

奥行きは10数メートル程度。 このトンネル形状のまま掘られていましたので、黒崎の鼻に残っている様な攻撃用洞窟では無いようです。




18

二つ目の防空壕跡。 こちらは一つ目より奥行きが短め。

短いとはいえ、この岩壁に手掘りされたような穴がぽかんと開いてる様はドキドキしますね~。 もうテンションが上がりっぱなしの団長一行なのでした。


その3に続く。。。。。。。



2016年1月17日 (日)

長年の願いが叶った防衛大学校探検!(その1)

カリフォルニアから復帰してわずか2か月。 正月早々いきなりビッグイベントのプレゼントがありました。 6年前から行きたい行きたいと話していた遺構の探検に行くことができたのです。 

遺構探検と言うといつもは立ち入り禁止の場所を座って入ったり(笑)進入禁止の看板があるところは後ろ歩きで入って看板が目に入らなかったり(笑)してしまうことがほとんどだったのですが、今回は違いますよ~。


普段から団長の行動をヒヤヒヤしながらご覧になっていた皆さん、安心してください、今回はオフィシャル探検ですよ!




Photo

場所は走水。 防衛大学校・走水海上訓練場です。




Photo_2

馬堀海岸から観音崎に向かって走って走水港を過ぎる辺り、左側にこのような建物があることを記憶されている方も多いでしょう。

今回はここを皮切りに防大本校施設内も見学の予定です。


さてオフィシャル探検と書きましたが、単に入場許可を頂いたと言うだけでなく、なんと防大の幹部・中塚さまがアテンドしてくださるという、三浦半島の一住民にとっては夢のようなシチュエーションです。 なぜこのようなことが実現したのでしょうか?

話は2009年にさかのぼります。 この走水海上訓練場内に存在する怪しげな遺構を取り上げたことがありました。


・走水・伊勢山崎の廃墟の実地検分(2009年9月21日)

http://miura-and-others.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-3774.html

この時にこの遺構を見たいがために図々しくも 「防大職員とお友達にならないと。。。 だれか団長を招待しても良いという方、連絡ください!」 と書いたのです。


その後、この遺構の正体が判明し、探照燈(サーチライト)跡だった、ということを取り上げました。

・伊勢山崎は灯台だった?(2009年10月1日)

http://miura-and-others.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-153a.html


今回お話を伺ったところ、この当時の防大の内部資料ではここを「砲台跡」と記していたとのことで、中塚さまが私のブログをご覧になって、どっちが正しいのかを調査された結果、団長が正しいとの結論に達し内部資料を修正されたとのこと! そんなこともあってお礼もかねて団長を是非ご招待となったらしいのですが、その後団長はカリフォルニアへ。 2か月前にようやく三浦半島へ帰って来たことで今回のオフィシャル探検が実現した、という経緯なんです。

いや~、パトロールは続けるもんですな~。




さて土曜の正午に訓練場で中塚さまと待ち合わせ、いよいよ探検開始です。 今回は団長だけではもったいないので、三浦半島デジカメ便りのShuさん、野毛パトロール主任のKKYさんも参加。 いきなり施設内の歴史的な物件や防空壕を見学させていただきテンションMaxな団長一行なのでした。 あまりに見どころが多かったので何度かに分けてアップしないといけませんが、まずはこの探検のきっかけとなった探照燈をアップしておきます。





Photo_4

でーん! 長年求め続けてきた探照燈がついに目の前に!! うぉ~っ!

しかーしこれまでの外部からの調査のみで思っていたことと、だいぶ違っていたことが判明しました。 

・この小屋は山の尾根の端に建っていると思ってましたが、この通り独立した岩山だったのですね~。

・この岩山の小屋のみしかないのかと思ったら、他にもいくつかあるんですね~。






4

少し右にパンした写真です。 小屋だけでなく全部で4つの施設から構成されていたことが判明しました。 左から

・見張小屋だったと思われる遺構。 これのみは訓練場外部からも見ることができます。

・給電施設だったと思われる建屋。

・探照燈跡 その1

・探照燈跡 その2 (この写真でははっきり写ってない)


ではその一つ一つを見て行きましょう。





5

まずは見張小屋。 

残念ながら草ぼうぼうと言うだけでなく、古いコンクリートの階段や手摺が腐食していること、小屋自体も危険な状態とのことでここから眺めるだけ。 でも追い求めて6年。 目の前に現れた見張小屋ちゃんは愛らしかったな~。





6

給電設備です。 おそらく戦時中はここで発電して2機の探照燈に給電していたのだろうとのこと。





7

隙間から内部をのぞくことができましたが、残念ながら当時の様子がわかる様なものはありません。





8

次に探照燈1です。 こちらはレンガ積みでイギリス積みとなっていました。 

おそらくここが入口で送電線もここ経由で敷設されていたのではないかと思います。





9

探照燈1の内部。 これもイギリス積みの煉瓦構造ですね。 

上部は丸いコンクリ構造となっていますが、残念ながらそこに上がることはできませんでした。





10

こちらが探照燈2。 なんと隣の探照燈1と違ってコンクリート製の土台となっていました! 

ということは1と2で建造された時代が違うってことですよね。 コンクリの方が新しいのでしょうから、第2次世界大戦に備えて、あるいは戦時中に追加されたものなのかもしれません。

こちらは入り口から先は土砂等で埋まっていて中に入ることはできませんでした。 しかーしその代りこちらは上に登ることができるんですよ。





11

これが探照燈2の上部。 真ん中の穴に送電線を通しその上に回転式のサーチライトがあったのかなあ。

この丸い構造、ぱっと見砲台跡かと思ってしまいますね。 それで内部資料にはそう書かれてあったのかもしれませんが、団長の記事、および砲台に付き物の弾薬庫が見当たらない、ベテラン幹部がここにいらっしゃった時に「これは砲台の構造ではない」との指摘などで探照燈であったと結論付けられたとのこと。







12

それにしも絶景だ~。

毎年春には草を刈り、4月の防大短艇競技(カッターレース)の時には学校長がここに座られてレースを見学されるのだそうです。 そんな話を伺い、団長一行も偉くなった気分で走水の海を見続けました。


その2に続く。。。。





2012年6月30日 (土)

減容固化施設近くのナゾの設備

TSUさんと言う方から調査指令が届きました。 

「長坂処分場内の減容固化施設の近くにあるアヤシイ施設、あれは何なのでしょう?」

あ、確かにありますねえ。 TSUさんは横須賀PA(下り側)裏の道の行き止まりから横横をくぐって山道に入りその施設に辿り着いたとのこと。 かなり厳重なガードで怪しさプンプンだったそうです。

と言うことで早速調査開始。 前日の雨の影響でTSUさんが辿られたルートは足場が悪かったため、団長は正面から攻めることにしました。 横横にかかる大畑橋を渡って長坂処分場内に入り大楠山へ通じるルートです。






Photo_3

処分場内に入って少し行ったところで景色が開けるポイントがありました。 この道の先の写真真ん中あたりに金網が見えますが、例の施設はその中にあります。 山の中なのに厳重なガードですね。 

10年前はこれほど緑が濃くなく、ここから施設が丸見えだった記憶がありますが、もうこうなっちゃったんですねえ。






Photo_4

更に進むと場内一周ルート(左方向)と減容固化施設ルート(右側)の分岐点に到着。






Photo_5

団長のようなハイカーは看板左に延びるハイキングコースを進むのですが、右側に行っちゃダメよ、とは書いてないのでちょっとだけ見に行ってみます。






Photo_6

分岐点から50m、アヤシイ施設の玄関に辿り着きました。

舐めるように見てみました(笑)が、ALSOKのステッカーと監視カメラ警告以外なにも書いていません。 うーん、アヤシイ。

ちなみに左の道は減容固化施設につながっています。






Photo_8

ゲートから先に延びる道はこのように落ち葉が沢山たまってました。 普段、車はほとんど往来していないような感じですね。

さてハイキングコースに戻り、がけ下に施設が見えるポイントを探します。






Photo_9

なんとかちょっとだけ端の方が見えました。 

ということで、結局なんだかわかりません。 減容固化施設の関連設備であればそのような表示があると思いますが、何もなくて警備も厳重だし。

この施設を下側方向(横横側)からチェックされたTSUさんの調査内容をご紹介します。

###############################

・電気メーターが回っており、何らかの機器が作動している。
・裏に消火栓のような給水パイプが複数ある。
・裏に防災用物置まで用意されており、それなりの対策がされている。
・横々側に大きな排水溝がある。(内部改修するときに一気に排水したい?)

などの断片的事実から、非常用の給水施設ではないかと考えています。

###############################

なるほど。 そうであれば確かに厳重にガードされていることや道に落ち葉がたまっていることが理解できます。 

さて真実は??


TSUさん、貴重な情報ありがとうございました!




より以前の記事一覧