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探険

2016年4月26日 (火)

今度はベース(米国海軍横須賀基地)さまからご招待!?

このところ半島内のパトロールはサボり気味ですが、先日の防衛大学校さまご招待によるお花見など、各方面からサポートを頂きながらかろうじて「三浦半島」の名に恥じないブログとして首の皮一枚でつながっている様な状況です。 そんな窮状を見かねたのか、今度はなんと米国海軍横須賀基地(通称ベース)さまが団長をご招待してブログネタを提供してくださるとのこと! 


なーんて、ウソです。(笑) 真実は、本日ベースと横須賀市が共同で開催した日米交流イベント 「米海軍と一緒に清掃ボランティア」 に参加してきたのでした。



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集合は朝8:10に正面ゲート。 団長は15分前に到着してベースの出勤風景を観察してました。 すると8時になるとベース内には米国国歌、続いて君が代が流れるんですね。 その間、誰もがその場に起立して立ち止まって聞き入ります。 遅刻しそうな人はヒヤヒヤものでしょう。(笑)

どこぞの国では国歌斉唱中に起立しないという学校の先生がいるようですが、そんな人がベースに勤務したら即日クビになりそうですね。


さて今回のボランティアは日本人17人、米海軍水兵さん20人が集まりました。 それぞれ1:1でペアを組んで日米談義をしながら汐入~横須賀中央付近の歩道のゴミ拾いを行います。



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団長とペアを組んだのはテキサス生まれの女性水兵・ステファニーさん。 日本での生活のことや空母内の任務などで盛り上がりながらゴミを拾い続けます。

それにしても一見きれいに見える歩道、改めて良く見てみるといろんなゴミが落ちてるもんですねえ。 一番多かったのがタバコの吸い殻。 あとはコンビニ弁当の容器、缶・ビン・ペットボトルなど。 大物では段ボール、壊れた傘など収穫の多いゴミ拾いとなりました。


外人さんにゴミの多さを見られてしまって、なんだか恥ずかしかったなあ。 頼みますよ、日本人。



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予定していた範囲を拾い終わったら一旦正門に戻って分別作業です。

これでボランティア活動は終了。 正味1時間半。 正直物足りません。 参加者17人、これだけのために平日の午前中に集合したのでしょうか?


そうなんです。 実はここからがホントのお楽しみ、ベース内ツアーにご招待いただいたんです。





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ベース内を散策するのはいつ以来かと過去の記事を調べてみましたが、2011年10月にFかわさんにご招待いただいたのが最後なので、4年半ぶり!


旧横須賀鎮守府は相変わらずモダンなたたずまいで団長一行を迎えてくれました。





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館内には311のトモダチ作戦に対して日本から米軍に送られた感謝状が飾られていました。 そう、現在ベースにいる空母ロナルド・レーガンもあの時は太平洋上の演習先から急遽駆け付けてくれたのでしたよね。 そういう記憶は大切にしなければなりません。




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ベースの将校たちの発案で設置された311のモニュメントもありました。 これ、前回は見ていないような気がしますが、見落としたのかな?

「ビルは崩壊すれど自由はいまだ高くそびえ立つ」

ツインタワーを模した石碑と共にこの言葉が心に響きます。




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いまだに現役の日本最古のドライドック、先日は自衛隊艦船の補修作業に使用されたそうです。 既に160歳。 これに比べたら団長はまだまだひよっこですな~。



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ベース内を更に奥へ進みます。

いよいよ初対面のロナルド・レーガンに近づいてきました!


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しかーし、今回は5月の出航に向けて補給物の積載作業が忙しく行われていて搭乗見学はできず。 うーん残念。 でも普段は見ることができない出航準備の様子はとても興味深いものでした。


このロナルド・レーガン、フル装備時は約5000人が乗船。 航空機は戦闘機、輸送機、ヘリなど約90機も搭載可能なんだそうです。 食事は1日およそ18,000食を提供するそうなので、それだけで途方もない量の貨物となるんでしょうね。

これだけ大きいと揺れとは無縁なのかと思ったら、意外とローリング(横揺れ)が大きく最初の数日は船酔いとの戦いだそうだ。 それだけで団長には無理そうな任務。(笑)


この後は三笠ゲート近くにあるカレー屋さんで水兵さんたちと共にランチ。 楽しい半日が過ぎました。 


ベースの皆さん、ありがとうございました! 今度は清掃無しでご招待御願いします!(笑)



2016年1月31日 (日)

長年の願いが叶った防衛大学校探検!(その4)

防大・走水海上訓練場の見学を終えた団長一行、次は山の上の防衛大学校へと向かいます。 海上訓練場からだと、走水神社の横を通り急な階段を上って15分ほどで本校の裏口に行けるのですが、、、、、 日ごろ鍛えられている中塚さまは息を上げずにスイスイと登られているのに対し、団長一行はどんどん息が上がって遅れてしまいます。(笑)


さて本校内見学の目玉は何と言っても花立台砲台跡。 普段はもちろん、一般人が入校できる毎年11月の防大開校祭の時にもそこだけは立ち入り禁止なのですが、その美しい佇まいと絶景は廃墟マニア、遺構マニアの心を捕えて離さないのです。


しかーし、ここで心配事が。 花立台砲台跡に通じる門の鍵は中塚さまの管理範囲外と言うことで、開いていれば入れるけど開いて無かったらごめんなさい/ここ数日は開いてなかった、とのことなのです。


ということで過大な期待は引っ込めて門に向かったところ、、、、、






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うぉ~っ! 開いてる!!

この先にある野球グラウンドで学生が練習していて、その選手が開けてくれたものと思われます。 真剣に打撃フォームをチェックしていた学生さん、ありがとうっ!!






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ということで、憧れの花立台砲台にゴタイメーン! 

か、かっけぇ~っ!






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それに美しい! 円柱形の構造がなんとも艶っぽい。

第三海堡もそうでしたが、曲線デザインを取り入れたコンクリート構造物はグッときます。







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内部もきれいな状態でキープされていました。 

かなりの大型の遺構なので内部はいくつかの部屋に分かれていましたが、それぞれがどのような役割を果たしていたのかはわかりません。 ここに置かれていたであろう設備は戦後にすぐに撤去されたのでしょうね。





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なんだかトイレっぽく見えますが、ここはなんだったのでしょう?




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円柱構造の2階部分の監視窓(?)から東京湾口方面を臨む。 敵艦が湾に侵攻してこないか、ここから監視していたのでしょうね。

それにしてもこの絶大な存在感に圧倒された団長一行、言葉少なくあちらこちらを眺め続けたのでした。





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こちらが砲台跡。 たしかにこうして見てみると海上訓練場内の探照燈跡とは構造が違います。


ここからの景色はまさに絶景。 浦賀水道から東京湾口までのパノラマがダイナミックに拡がっていました。 近くの観音崎灯台からも素晴らしい景色を眺めることができますが、こちらの方が標高が高いため、同じ景色をより俯瞰的に観ることができるのです。 ここで初日の出を見ることができたら最高だろうなあ。


この後、学内の主要施設を見学。 射撃訓練場、第二大隊校舎屋上からの東京湾絶景、防大グッズが沢山ある売店、校内に展示されている戦車、魚雷、戦闘機などなどなど。 これらの多くは11月の防大開校祭のときに見学可能なので、是非とも多くの人に見てほしいものです。





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最後に校門近くの見事な桜の木二本を見学。 この枝っぷり、見事な咲き具合なのでしょうね。 想像するだけでワクワクしてしまいます。 寒さの厳しい冬や暖冬、毎年コンディションは違うにも関わらず、不思議なことにこの二本だけは防大の卒業式にあわせて満開になるのだそうです。 今年はかなりの暖冬ですがどうなるでしょうか?


卒業式には総理大臣も臨席するので警備上の問題もあるでしょうから、当日は無理そう。 式の直後位にまた見に来たいと思います。 なーんて、普通に入ることはできないでしょうから校門から眺めるだけかなあと思っていたのですが、中塚さまにまたご招待いただけるかも? でもさすがにビール持込みは無理そうだ~。(笑)


お昼から4時間、2万歩、12㎞を踏破した防大探検もいよいよ終わり。 今回は立ち入り禁止を座って入ったなんてことはしていないので(笑)、守衛さんに堂々と挨拶をしたあと、校門で中塚さまとお別れしてバスに乗り込みました。

それにしても濃い探検だったなあ~。 こんな夢のような機会を提供してくださった防大と中塚さまに感謝感謝。 





2016年1月23日 (土)

長年の願いが叶った防衛大学校探検!(その2)

防大・走水会場訓練場内、見どころは探照燈跡だけではありません。 中塚さまが団長一行を次から次へと様々な場所へ連れて行ってくださりました。




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校内の最上階に設置されていた双眼鏡。 とりあえずここに置かれていますが元はどこにあったのかよくわかっていないらしいのです。 なぜかと言うと、、、






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なんとまあ、昭和19年製、つまり戦時中のもの、つまりつまり日本帝国軍の所有物だったということですね。

終戦が昭和20年、それとともに日本軍が解体。 防大の開校が昭和27年。 7年間の空白があったわけです。 その間関係資料はほとんど処分され、この双眼鏡の出自がわからなくなったのでしょう。 探照燈の見張小屋に設置されていたのかもしれませんね。

それにしてもこの双眼鏡、さすがは日本光学工業(ニコン)製です。 71年経った今でも遠くの岩場で海鳥が戯れる様子をとてもクリアに見ることができました。 71年前は、いつ来るともわからない敵艦を探すために若い将校が緊張しながら覗いていたのかも。





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宿舎内も拝見しました。 学生たちがこの施設内で訓練するときの宿泊部屋です。 

2段ベッドで大部屋で大変だな~と思う前に、まずはきれいに畳まれた寝具に目が行っちゃいます。 いや~素晴らしい。 

学生たちはこの施設内で実習したり(操船シミュレーターもあるらしい!)勉強したのち、この部屋で復習したり憩いのひとときを過ごします。 憩い、とはいえテレビやラジオはありません。 


そんな中で学生たちの唯一の楽しみがあるのだそうです。 それは何でしょうか??







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正解はこれ! 自動販売機。 えっ??

これで飲み物を買って部屋で飲むことが楽しみなのだそうだ。 ほぇ~っ。 これが売切れたら大変なので職員の方々がこまめにチェックしているようです。

ひょっとしてこの中にこっそりビールやワインがあるかと思って細かくチェックしましたが、ありません。 当然か。(笑)




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さて敷地内には防空壕らしき横穴が二つありました。 この穴が掘られた小山はこの通り強固な岩なので、上から攻撃されたとしても耐えられたでしょうね。

奥行きは10数メートル程度。 このトンネル形状のまま掘られていましたので、黒崎の鼻に残っている様な攻撃用洞窟では無いようです。




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二つ目の防空壕跡。 こちらは一つ目より奥行きが短め。

短いとはいえ、この岩壁に手掘りされたような穴がぽかんと開いてる様はドキドキしますね~。 もうテンションが上がりっぱなしの団長一行なのでした。


その3に続く。。。。。。。



2016年1月17日 (日)

長年の願いが叶った防衛大学校探検!(その1)

カリフォルニアから復帰してわずか2か月。 正月早々いきなりビッグイベントのプレゼントがありました。 6年前から行きたい行きたいと話していた遺構の探検に行くことができたのです。 

遺構探検と言うといつもは立ち入り禁止の場所を座って入ったり(笑)進入禁止の看板があるところは後ろ歩きで入って看板が目に入らなかったり(笑)してしまうことがほとんどだったのですが、今回は違いますよ~。


普段から団長の行動をヒヤヒヤしながらご覧になっていた皆さん、安心してください、今回はオフィシャル探検ですよ!




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場所は走水。 防衛大学校・走水海上訓練場です。




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馬堀海岸から観音崎に向かって走って走水港を過ぎる辺り、左側にこのような建物があることを記憶されている方も多いでしょう。

今回はここを皮切りに防大本校施設内も見学の予定です。


さてオフィシャル探検と書きましたが、単に入場許可を頂いたと言うだけでなく、なんと防大の幹部・中塚さまがアテンドしてくださるという、三浦半島の一住民にとっては夢のようなシチュエーションです。 なぜこのようなことが実現したのでしょうか?

話は2009年にさかのぼります。 この走水海上訓練場内に存在する怪しげな遺構を取り上げたことがありました。


・走水・伊勢山崎の廃墟の実地検分(2009年9月21日)

http://miura-and-others.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-3774.html

この時にこの遺構を見たいがために図々しくも 「防大職員とお友達にならないと。。。 だれか団長を招待しても良いという方、連絡ください!」 と書いたのです。


その後、この遺構の正体が判明し、探照燈(サーチライト)跡だった、ということを取り上げました。

・伊勢山崎は灯台だった?(2009年10月1日)

http://miura-and-others.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-153a.html


今回お話を伺ったところ、この当時の防大の内部資料ではここを「砲台跡」と記していたとのことで、中塚さまが私のブログをご覧になって、どっちが正しいのかを調査された結果、団長が正しいとの結論に達し内部資料を修正されたとのこと! そんなこともあってお礼もかねて団長を是非ご招待となったらしいのですが、その後団長はカリフォルニアへ。 2か月前にようやく三浦半島へ帰って来たことで今回のオフィシャル探検が実現した、という経緯なんです。

いや~、パトロールは続けるもんですな~。




さて土曜の正午に訓練場で中塚さまと待ち合わせ、いよいよ探検開始です。 今回は団長だけではもったいないので、三浦半島デジカメ便りのShuさん、野毛パトロール主任のKKYさんも参加。 いきなり施設内の歴史的な物件や防空壕を見学させていただきテンションMaxな団長一行なのでした。 あまりに見どころが多かったので何度かに分けてアップしないといけませんが、まずはこの探検のきっかけとなった探照燈をアップしておきます。





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でーん! 長年求め続けてきた探照燈がついに目の前に!! うぉ~っ!

しかーしこれまでの外部からの調査のみで思っていたことと、だいぶ違っていたことが判明しました。 

・この小屋は山の尾根の端に建っていると思ってましたが、この通り独立した岩山だったのですね~。

・この岩山の小屋のみしかないのかと思ったら、他にもいくつかあるんですね~。






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少し右にパンした写真です。 小屋だけでなく全部で4つの施設から構成されていたことが判明しました。 左から

・見張小屋だったと思われる遺構。 これのみは訓練場外部からも見ることができます。

・給電施設だったと思われる建屋。

・探照燈跡 その1

・探照燈跡 その2 (この写真でははっきり写ってない)


ではその一つ一つを見て行きましょう。





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まずは見張小屋。 

残念ながら草ぼうぼうと言うだけでなく、古いコンクリートの階段や手摺が腐食していること、小屋自体も危険な状態とのことでここから眺めるだけ。 でも追い求めて6年。 目の前に現れた見張小屋ちゃんは愛らしかったな~。





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給電設備です。 おそらく戦時中はここで発電して2機の探照燈に給電していたのだろうとのこと。





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隙間から内部をのぞくことができましたが、残念ながら当時の様子がわかる様なものはありません。





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次に探照燈1です。 こちらはレンガ積みでイギリス積みとなっていました。 

おそらくここが入口で送電線もここ経由で敷設されていたのではないかと思います。





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探照燈1の内部。 これもイギリス積みの煉瓦構造ですね。 

上部は丸いコンクリ構造となっていますが、残念ながらそこに上がることはできませんでした。





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こちらが探照燈2。 なんと隣の探照燈1と違ってコンクリート製の土台となっていました! 

ということは1と2で建造された時代が違うってことですよね。 コンクリの方が新しいのでしょうから、第2次世界大戦に備えて、あるいは戦時中に追加されたものなのかもしれません。

こちらは入り口から先は土砂等で埋まっていて中に入ることはできませんでした。 しかーしその代りこちらは上に登ることができるんですよ。





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これが探照燈2の上部。 真ん中の穴に送電線を通しその上に回転式のサーチライトがあったのかなあ。

この丸い構造、ぱっと見砲台跡かと思ってしまいますね。 それで内部資料にはそう書かれてあったのかもしれませんが、団長の記事、および砲台に付き物の弾薬庫が見当たらない、ベテラン幹部がここにいらっしゃった時に「これは砲台の構造ではない」との指摘などで探照燈であったと結論付けられたとのこと。







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それにしも絶景だ~。

毎年春には草を刈り、4月の防大短艇競技(カッターレース)の時には学校長がここに座られてレースを見学されるのだそうです。 そんな話を伺い、団長一行も偉くなった気分で走水の海を見続けました。


その2に続く。。。。





2013年1月27日 (日)

LA・リトルトーキョー、ダウンタウン散策

本日土曜日、 天気予報が外れてきれいに晴れ上がったので、DP2Xを持ってダウンタウン方面を散策してきました。 リトルトーキョーで美味しいラーメンでも食べようという計画です。 

なんだか観光客モード。(笑)






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ダウンタウンまでシャコタン号で行ってもいいのですが、最近のLA鉄道事情を探るため、アパートから最も近い (とは言ってもハイウェイで25分ほどかかる。) ユニバーサル駅のパーク&ライドにシャコタン号を停め、地下鉄でダウンタウンへ。

このユニバーサル駅、映画会社のユニバーサル本社の真下、かつユニバーサルスタジオの入り口に位置しています。 10年ちょっと前、仕事で何度もユニバーサルスタジオに来ていた団長 (ホントに仕事ですよ!(笑)) にとっては庭みたいなところです。






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地下鉄のプラットホームは柱にきれいなタイル画が設えてあって予想よりずっと清潔感がありました。 日本からそれほど違和感ありません。 それと車両には自転車も積載できるのもグーです。

ここから30分ほどでダウンタウンのシビックセンター駅で下車しました。 そこから市庁舎を見学しながらブラブラ歩くこと10分ほどで、、、、






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リトルトーキョーに到着~。 

以前はガラーンとした印象だったと記憶してますが、今はいろんな店が所狭しと出店していて活気がありました。 でも聞こえてくるのは韓国語、中国語、スペイン語。。。。。 

この辺りで最も人気のありそうな大黒家という店でラーメンを食べる計画でお店に行ってみると、ありゃりゃ、いつになったら食べられるのかわからないくらいの大行列! 仕方がないのでそこからすぐの、The Ramen、という大きく出た店名(笑)のラーメン屋で塩ラーメンを頂きましたが、普通に美味しかった。 普段まともな日本食に接していない団長にとっては天にも昇るようなランチでした。(笑)






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その後、ダウンタウン方面を散策。 ここ、グランドセントラルマーケット、という市場で、事前情報では活気あふれる市民の台所、というふれ込みだったのでかなり期待して行ってはみたものの、、、、 うーん。 野菜果物がメインで、肉や魚が少ない。 これだったらWhole Foodsなど上品なスーパーのディスプレイ、 中華系スーパーの超怪しげな肉魚類(笑)を見ていたほうが楽しい。 ちょっと期待はずれでした。






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ダウンタウン内は意外とアップダウンがあり、こんなケーブルカーもありました。 良く見ると三線軌道式。 これならポイントが不要ですね。 なーるほど。






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この辺りが Old Downtown だそうです。 LAにも古い街並みがあるんだねえ、と思いながら歩いてみましたが、どうも違和感が。 道歩く人たちはほとんどがスペイン語で会話していて、なんだか中南米のどこかの街にいるような雰囲気でした。 浮浪者っぽい人も何度か見かけ、雰囲気が良くなかったのでそそくさと退散。





 
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Old Downtown の横には現代のダウンタウンが拡がってます。 金融関係の高層ビルが立ち並び、隣とは大違い。 これはこれでバブリーな印象もあって馴染めず、結局それほど楽しむことなく帰ってきました


うーん、 なにか新しい楽しみを見つけないとなあ。 もう少し暖かくなったらワイナリー巡りがあるけど。






2012年5月27日 (日)

本州制覇!島根弾丸ツアー その5 : 湖の真ん中で火山の火口を見た!

至福の松江パトロールから明けて日曜日、昼過ぎの飛行機で羽田へ帰るまで松江~米子空港間をドライブの予定です。

まずは起床後にホテルの最上階にある大浴場で目覚めのシャワー。 宍道湖と松江市内が良く見えました。 その後KKY氏とバイキング方式の朝食で、納豆、玉子、魚類を食べて準備万端! 

チェックアウト後は実家宿泊のjunko団員氏と合流して出発です。 まずは宍道湖の隣の中海に浮かぶ大根島(だいこんじま)へ向かいました。 フラットに見える大根島、実は火山活動でできた島だそうで、その中に溶岩が流れた隧道が二つあるって言うじゃないですか。 ここもガイドブックには載ってませんがこれは見ないといけませんね~。

でもその溶岩隧道、国指定の天然記念物になっているというのが不安材料。。。。(笑)  前日の七つ穴以降、 「天然記念物」 という言葉にはだまされない人間に成長したはずの団長ですが、「隧道」 という言葉にグラッときてしまったのです。。。(笑)  

期待半分、不安半分で一つ目の溶岩隧道に向かってみると、、、、






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ありゃっ! 立入禁止??






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金網から覗いてみると確かに洞窟らしきものはありますが、せっかくはるばる来たのにこれを眺めておしまいなのか??

またまた 「天然記念物」 という言葉に騙されてしまったようです。(笑)  成長してませんね。 

さてこれは一つ目の洞窟。 もう一つあると言うことなので、半分ヤケクソでそちらも見に行ってみることにしました。





 
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と、そこにはしっかり鍵のかけられた入口が!  またまた騙されたのかあ、ともう笑うしかないかと思ったその時、見学したい人は◇□○△まで電話してチョーダイ、と言う張り紙を発見です!  もうどうにでもなれと言う気分でjunko団員氏が電話してみると、、、なんと数分で案内人が来てくださると言う返事があったではあーりませんか!

で、待つこと7-8分、本当に案内人の門脇さんが到着! 門脇隊長、世界中の洞窟に行きまくったと豪語する、もういかにも学者っ!てな風貌で毎晩夢に出てきそう。。。。。






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隧道に入る前、まずはレクチャーです。 普段鍵がかかっている理由は、全世界でこの隧道にしか生息していないという、「イワタメクラゴミムシ」 というすごい名前で、しかも放送禁止用語まで含んでいる生き物がいるのだそうで、それの保護のためなんだって。 

いままで七匹発見されているそうですが、もう何年もここに潜っている門脇隊長でさえ三回しか見たことが無いそうです。

そのほか、「キョウトメクラヨコエビ」 という、これも放送禁止用語を含むエビもいるそうで、こちらは運が良ければ見ることができるそうだ。

それにしても語り始めた門脇隊長、もう止まりません。 語る語る。 ひょいと潜って、チラッと見ておしまいかと思っていたのに、このツアーはひょっとして夕方までかかってしまうのではないかと心配になるほどでした!






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一通りレクチャーが終わると、いよいよ溶岩隧道へ突入! 全員懐中電灯を持ち長靴に履き替え隊長の後に続いて階段を降ります。 中段くらいに差し掛かると空気が急に冷たくなり、地下に降りていることを実感できました。

さて隧道内部に着くと、内部に頑丈そうなテントがセットされていました。 隊長曰く、防弾チョッキの数倍の強度を持つ素材で作られているのだそうです。 

なんで?






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理由はこれです。 落石。 あちこち脆くなってきていて、このように天井から岩が突然崩落してくるのだそうです。 こんなのに当たったらヘルメットの有無にかかわらず命は無さそうです。 こわ~。 

それにしてもそんな危険さがありながらもこの隧道を見る価値とはなんなのでしょうか? さっきのゴミムシ以外の理由があるのかな?

そんな疑問に隊長から驚愕の説明が!

「この隧道、世界中から学者が見に来るんですよ。 なにせ大根島ができたとき、隧道内部のここ(この写真部分)が火山の火口だったんです。」

わーお! 湖の真ん中の小島で、しかも地下洞窟で火山の火口を見ることになるなんて、全く想像もしてませんでした!  ぞぞ~っ!






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火山火口の反対側に進むと岩肌から糸のようなものが沢山垂れ下がっていました。 これは植物なんだそうで、洞窟内の湿気を栄養分にして育つのだそうです。 全く光が無く湿気が高いと言う特殊な環境に適応したのでしょうね。 すごい。






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更に進むとこの看板でテントはおしまい。 その先には落石がゴロゴロしてました。 でも丈夫なテントなんだから、その先にも設置すればいいのでは? と思ったのですが、隊長の指差す先を見てみたらなんと、厚さ1m位の層に亀裂が入っていて、これがもし崩落したらさすがのテントでもペシャンコでしょう。

それにしてもええもんを見せてもらいました。 門脇隊長のキャラクターと相まって強烈な印象でしたよ。 

いや~、天然記念物っていいもんですね!(笑)


さて溶岩隧道で想定以上に時間を使ってしまいました。 次は境港の例の場所に向かいます。 






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そう、水木しげるロード。 団長は二年前の鳥取弾丸旅行で訪れてますが、初めてのKKY氏は興味深そうにあちこちキョロキョロしてます。

団長的には目玉おやじ街燈の後ろに見える自衛隊のアンテナの方が萌え~なんですけどね。(笑)

それにしても水木しげるロード、相変わらず徹底してました。 沢山の妖怪があちこちにいるのはもちろん、目玉おやじだけ見てみても、この街燈、タクシーの天井のサイン、パン屋さんのパン、それに、、、、、






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散歩中の犬の背中にも!(笑)


そうこうしているうちに、あれっ? 帰りの飛行機の時間まであと80分しかないぞ! 

でもなにか美味しいお昼ご飯が食べたいのです。






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ってことでデミオを飛ばして向かったのが境港の水産センター、「大漁市場なかうら」 の中にあるレストランです。 注文した時点であと70分しかありません。

団長が頂いたのはこれ、とろハタ丼です。 とろろが載ったご飯の上に皮目を炙ったハタを乗せたどんぶり。 

小型の白身魚だったので淡泊な味を想像して口に入れたらビックリ! 独特のトロッとした旨さが口に拡がります。 たまりませんね~。 時間があったらお代わりしたくなるほどの美味しさでした。 で、食べ終わった時点であと55分。

残念ながら市場内での買い物は諦めて空港に向かいます。 途中ガソリンを入れ、空港に着いてからはレンタカーを返却し、チェックインしたのが出発30分前。 何とか間に合いました。


それにしても充実した弾丸ツアーでした。 団長的印象では、全都道府県の中で島根県は佐賀県と並んで地味な印象でしたが、実際に行ってみるとところがどっこい、風光明媚、美味しいものが沢山、それに何より人が素晴らしいじゃあーりませんか。 スモークハウスの御主人、根っこやの社長さん、溶岩隧道探検隊長、強烈な個性のお三方にノックアウトされてしまったのです。 また行ってみたいものですぞ。

盛り上げてくれたKKY氏、そして地元出身者としてこの弾丸ツアーをプロデュースしてくれたjunko団員氏に感謝。  近々野毛で反省会を開催しましょう。(笑)  


って、これに限らず未開催の反省会がどんどんたまっているぞ。 キャンプ座間探検反省会、吉井古道散策反省会、それに松江反省会。 行事が終わっても忙しい団長なのでした。(笑)

ってことで、おしまい。

2012年5月13日 (日)

吉井山中/浦賀古道散策

昨日土曜日午後、shuさん、あいさん、団長、のおじさんトリオで浦賀古道をブラブラしてきました。 お互いに近所に住んでいますが、ウォーキングを兼ねて近くにありながら普段なかなか見ることが無い場所を探検してみようと言うことで、2月の久村方面散策以来となります。






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向かったのはここ。 黄色線で囲まれた吉井山中で、久里浜から浦賀に向かう浦賀古道が通っています。 古道のみならず山中内はかなり自在に山歩きできるところなので、団長も時々探検している所。 

山中に加え、赤丸で囲ったところにも行ってみたいとのリクエストがあり、そこもコースに加わっています。 そこはどんなところかと言うと、、、、






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この写真中央部、京急車内からも良く見えますが若宮台の宅地開発地で、その形状からその筋の人(?(笑))から 「ブロッコリー」 と呼ばれている場所です。

ここから先の写真は大きめのサイズサイズで見ることができます。






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まずは舟倉方面からアプローチし、吉井の眞福寺から浦賀古道に入ります。 ここ、何度通ってもゾクッと来ますね~。 急な細い登り坂、先が見えないカーブ。 美しい佇まい。

坂の途中、右に折れる山道を進むとブロッコリーに辿り着くことができます。





 
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ブロッコリーからは若宮台住宅地、久里浜港、東京湾口、房総半島方面が一望できました。 いつも見ている街の景色も別の角度から見るととても新鮮です。 ここからは横須賀火力発電所の煙突は2本に見えますね。

ここ、比較的簡単に来ることができますが、宅地開発に伴い足元は崖になっているので要注意です。






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その後、本来の浦賀古道から離れて吉井山中をブラブラしると朽ちたスクーターが有りました。 ここまで運んでくることは不可能と思われるので、自走してきて廃棄したものと思います。 団長も10数年前は流星号で人しか通れないような細い山道を走りまわったことを思い出しました。 あの頃は若かったなあ。(笑)






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その後あちこちブラブラして、最後は浦賀造船所の見学です。

かつてさまざまな艦船や日本丸を建造した船台部分は現在では物置になってしまっていますが、完成した船がここからザブーンと船出する様子を見てみたかったなあ。

3時間のブラブラ散歩のあと浦賀駅でゴール。 その後はバスに乗りわずか15分で出発地の久里浜に戻りました。

shuさんのiPhone散歩アプリによれば、歩いた距離は約9Km、消費カロリーは350Kcal、と出ました。 約80mの高低差があったので良い運動でしたね。 来月人間ドックを予定しているので、しばらくは健康的な生活を送らなければ。(笑)


ってことで、shuさん、あいさん、おつかれさまでした。 「三浦半島デジカメ便り」 にupできるようなハッとするシーンはあったでしょうか? 近々反省会を。(笑)



2012年5月 6日 (日)

田浦ゴーストタウンに変化あり!

【警告!】

最近この地域の住宅に不法侵入したと思わしき写真や文書がネット上にアップされてます。言うまでもなく不法侵入は犯罪です。絶対にやめましょう!! (2015年5月16日追記)











昨日子供の日、団長のパトロールに是非同行したいという変わった方々(笑)をゲストに迎え、追浜田浦方面へ出かけてきました。 時々このブログにコメント頂く(り)さん、それと彼女の知り合いののぶさん。 お二人ともぶらタモリ的なマニアック的街歩きが大好きだそうで、それが高じてついには三浦半島方面がアヤシそうだと目を付けたのだとか。 なんたる慧眼!(笑)  

特にのぶさんはわざわざ埼玉県から駆けつけられました。 彼のような好奇心を持った若者(好き者?(笑))がいる限り、日本の未来も安泰です。

聞けば追浜から南方面はほとんど来たことが無いとのことで、狭い地域にネタが集中する追浜~田浦方面をご案内しましたが、お二人とも大変満足されたようで良かった。


さて盛り沢山のコース、団長にとって時々パトロールしているところがほとんどだったのでこれと言って目新しいものは無いのですが、あれっと思うような変化がいくつかありました。


その一つはゴーストタウンです。 


3年前に調査した時、誰も住まなくなった家は放置されたままになっていましたが、久しぶりに足を踏み入れてみると、、、






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ん? 針金が張り巡らされています。 






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こちらには立入禁止の看板まで。 汚れ具合から察するに比較的新しいようです。 





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3年前、扉がボロボロになっていたこちらのお宅の玄関には目隠し板が設えられていました。 ひょっとして廃墟に上がり込んだ不届き者がいたのか?


気になったのはこれらの看板に書かれた会社名です。 湘南田浦ニュータウン(株)。 つまり3年前に見かけた看板に書かれていた会社名ですね。 その当時、土地を買い上げた後にそのデベロッパーがどうにかなったのかも? と推察しましたが、今こうして同じ会社が手を入れているとすると、その推察はハズレだったのですね。 


とすると、これまでの工事中断の真の理由は?? あーんど、今後新しい動きがあるのでしょうか? 

2012年4月 7日 (土)

キャンプ座間訪問記!④ 未使用の防空壕と消え去った神社

相武台碑を後にした一行、更にウォーキング続行です。






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こちら、キャンプ内にある教会です。 なんだかモダンな造りですね。 モダンすぎて教会らしい重々しさがあまり感じられませんが、神様まで軽々しいってことはないでしょうね?(笑)

まあいつでも撤収できるようにってことなのでしょう。 






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教会入口のガラス戸には近くの鳥居が反射してます! ちょっとシュールな光景。。。






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さて教会から少し進んだ小高い丘に、何やら怪しいドアを発見! 何かの格納庫にしてはアプローチする通路が狭いし、目立たないような造りになっているし、いったいなんなのでしょうか??






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なんと、昭和天皇がここを訪問なさった時の防空壕だそうです。 昭和18年ですから第二次大戦真っ只中ですね。 万が一に備えて掘ったのでしょう。 

でもせっかく掘ったのに使われなかったようで、この説明板には「未使用」と記されています。 なんだかオークションへの出品アイテムみたいですね。(笑)

ホントは内部も見てみたかったのですが、もちろん立入禁止。 試しにドアを叩いてみたらかなりの反射音が聞こえましたので、内部は結構広いものと想像できました。






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こちらには表札掛けとは異なる、本物の鳥居があります。 でもその先には何もありません。






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かつてこの鳥居の先には、雄健神社(おたけびじんじゃ)という学内神社があり、士官学校出身者の戦死者、殉職者を合祀していたのだとか。






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こちらには陸軍士官学校時代から残る建物がありました。 かつては将校たちの集会所だったところで、現在はボーイスカウト、ガールスカウトが使用しているそうです。 

木造の古い建物、耐震性は大丈夫なのかな?






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心配無用! 裏側はこの通り、ガッチリと補強してあります。 なんか、やっつけで作った映画セットみたい。(笑)


さてこれでキャンプ内をほぼ見て回りました。 最後は、、、、






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スポーツバーで反省会!(笑)

概算で9~10Kmほどは歩きましたのでビールが乾いた体に沁み渡りました。 まいう~っ!

このキャンプ座間、日本国内に展開する米国陸軍のいわば本部に当たりますし、直接の部隊がいるわけでも無いようなので、横須賀のベースに比べたらホントに地味な印象でしたね。 歩いていてもほとんど誰ともすれ違わないし、すれ違ってものんびりした感じでした。 まあここがピリピリしているようではいけないのでしょうけどね。

そんな中で滑走路、リトルペンタゴン、昭和天皇の防空壕など、興味深いものがいくつもありましたね~。 それら全て、普段見ることができないものなので、歩いた甲斐がありました。 次は厚木基地制覇か?(笑)


るまさん、貴重な機会を提供くださいましてありがとうございました。 そのうち本格的な反省会(笑)をまたさくら水産で開催したいと思います。


2012年4月 5日 (木)

キャンプ座間訪問記!③ これがリトルペンタゴン! かな?(笑)

キャンプ座間内で滑走路と並んで団長が見たかった施設はキャンプの南端にあります。

キャンプの中心部から行くにはキャンプ敷地を突っ切っている県道をまたいでいくのですが、、、、






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これが県道をまたぐ隧道の部分。 ここでまたいかさとさんの目がきらりと光りました。 なんと、お仕事でこの県道を何度も通っていたので金網の向こうの世界 (団長一行が現在立っているところ) は憧れの世界だったのだそうです。 その気持ち、よーくわかりますね~。 いつもはベースを見おろしている安針台公園をベースの中から「逆見」したときは気分良かったですから。






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そして今、こうして金網の内側から県道を走る車に手を振っているわけです。(笑)  イエーイっ!(笑)

さてこの隧道から徒歩一分、ついに目的地到着です。






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じゃーん、キャンプ座間の司令部、リトルペンタゴン!






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これが正面玄関のようです。 

リトルペンタゴンってくらいなので五角形かと思いきや、もっと変わった形なんですね。 グーグルマップの衛星写真で見たときからときめいていたのですが、いざ来てみて近くで見ると残念ながら全くその美しさがわかりません。


大きな地図で見る

上から見るとこんな形なんだけどなあ。 リトルペンタゴンは実物よりも衛星写真の方が100倍すごいってか?(笑)  それにしてもこれの設計者は阪神タイガースのファンだったのでしょうか?(笑)

とりあえず一周しましたが、直接の見た目では最後までその良さがわからずじまいでした。 頭の中はもうこの形の想像で一杯!


さてリトルペンタゴンを後にした一行、次は元来た道を戻ってキャンプの正門付近を散策しました。 






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正門近くには大きな石碑があります。 パッと見たとき、”相武ツボ”ってなに? と思いましたが、「相武台」の旧字なんですね。






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説明書きによると、昭和天皇がここにあった陸軍士官学校をこう名付けたのだそうです。

あ、なーるほど。 ここで謎が一つ解けました。 集合場所の相武台前駅の名前についてです。 初めて降りる駅だったのですが、その名前を聞いた時になぜ「相武台駅」じゃなくてわざわざ「前」を付けたのだろう? と思ってました。 きっとそれだと畏れ多くて「前」を付けたのでしょうね。 帰宅してからWikiを見てみたら、やはりそのようなことが書いてありました。






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相武台碑の周囲には陸軍士官学校卒業生たちによって置かれた記念碑が多数ありました。 その多くは昭和後半から平成、つまりかなりお年をめされてから設置されたものです。 皆さん、戦争体験を基に力強く平和を願って置かれたのでしょうね。

この一角は帝国陸軍の空気と平和な現代が混在して、様々なことを思い巡らせるようなところでした。


さてここからほど近いところ、昭和天皇にまつわる興味深いところがもう一つ残っています。 


ということでもう一回続く。



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